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なぜ民主主義が用いられるべきなのか。その民主主義を制限する立憲主義とは何か(民主的に決定すべきでない場面とは,どのようなときか)。なぜ立憲主義が必要となるのか(立憲主義の役割)。その立憲主義と両立可能な安全保障制度とは,どのようなものか。本書は,かなり大まかに言えば,これらの問いに対する応答によって構成されています。
本書は,『日本も,際限なく軍備を保持できる「普通の国」になるべきだ』という右派の主張も,『日本は非武装中立でいくべきだ』『憲法9条は,とにかく変えてはいけない』という左派の主張も公平になぎ倒して,情緒的な議論を廃し、論理的な憲法改正議論の土台を築くものです。読者──特に,普段から憲法改正について深く考えてはいない,実にまともな日本人──は,情緒が排された荒野にぽつんと取り残されて,本書の長谷部理論に乗っかるか,批判するか,いずれにせよ長谷部理論を無視できないものとして認識することになるでしょう。
以下,本書での議論を追っていきます。そして最後に,本書を読みこなすための参考文献をあげたいと思います。
本書の主題=立憲主義
本書のユニークな点について,著者である長谷部恭男教授自身は,立憲主義の意義を,その成立過程に即して説明するところであると述べています(同「表立っていえない憲法解釈論」法学教室301号30頁以下〔31頁〕)。また,同じ文章の中で,
一番いいたかったことは,立憲主義とは何かってことなんだよねとも述べておられます。
本書の主題は,立憲主義の意義を説くところにあるのであって,「憲法と平和」は,その応用問題の一つという位置づけです。つまり本書は,憲法9条改正の是非について論じたというよりも,その前提となる議論の整地を行ったものと言えるように思います。
本書の構造
本書の構造を,もう少し詳しく見ていくこととします。
なお,以下述べていくことを,もっとスマートにまとめておられるのが,「長谷部恭男教授の<憲法9条改正不要論>の検討(上)」(松尾光太郎 de 海馬之玄関BLOG)です。該当部分を引用しておきます。
長谷部さんの<立憲主義−平和主義>の構図(というか『憲法と平和を問いなおす』の論旨)は曖昧ではない。それは、民主主義による国家権力の正統化→比較不能な価値の並存からの立憲主義の基礎づけ→立憲主義の具体的内容の演繹(比較不能な価値の排除・公私の区別・囚人のジレンマ状態の合理的解決)→国内の平和を維持する立憲主義的な手法と国際の平和を維持するために生み出されるべき手法との比較考察→(再度、国内に目を転じて)立憲主義からの絶対平和主義の否定→日米安全保障条約ならびに必要最小限の自衛力を保持することは合憲という現行の政府解釈の立憲主義からの基礎づけ→改憲慎重論の提示である。さて,本書の目次は,以下の通りです。
序章 憲法の根底にあるもの第1部では,『なぜ民主主義が用いられるのか(なぜ民主主義が正当化されるのか)』について,民主主義的政治体制の下で通常用いられている多数決という方法にまで遡って論じられています。
第1部 なぜ民主主義か?
第1章 なぜ多数決なのか?
第2章 なぜ民主主義なのか?
第2部 なぜ立憲主義か?
第1章 比較不能な価値の共存
第2章 公私の区分と人権
第3章 公共財としての憲法上の権利
第4章 近代国家の成立
第3部 平和主義は可能か?
第7章 ホッブズを読むルソー
第8章 平和主義と立憲主義
終章 憲法は何を教えてくれないか
そして,民主主義は,用いられる場面に応じて,様々な観点から正当化されることを前提に(本書では,自己決定の最大化,功利主義,公平な取扱い,コンドルセの定理をあげています),それでも,民主主義によって決定すべきでない事柄,言い換えれば,民主主義が制限されるべき場面がある,といいます。民主主義が果たすべき最低限の役割は,
人々の意見が対立しているにもかかわらず,その問題について社会全体として統一した結論が必要となる場合に,その結論を出すこと(31頁)ですが,そうすべきではない,
社会の根幹に関わるような問題(40頁)があり,そうした範囲(民主主義が用いられるべきでない範囲)に属する問題について民主主義が用いられないように規制しているのが,立憲主義であるとします。
これを受けて,第2部では,立憲主義の内容と役割が論じられます。
ここが本書の肝です。
話は自然権から始まります。宗教改革により、不倶戴天の価値観・宇宙観をもつ人同士が共存しなければならなくなったヨーロッパにおいて,それでも全ての人は自己保存への権利(自然権)を共通に有するという考え方を基礎にして,立憲主義が形作られていく経緯を描きます。そこでは,立憲主義は,
いずれかが他方より優れているとはいえず,かつ,両方が同価値であるともいえない(54頁)価値観,つまり比較不能(incommensurable)な価値観が多様に存在し,どれかが正しいということはないことを前提に,それらの
異なる価値観が公平に共存しうる──そういう意味で正義に適った──社会生活の枠組を構築する(58頁)という,究極的な価値観の対立(そして,それが招く戦争)を回避するのための方法の一つと位置づけられます(以上,第2部第3章まで)。
次に,価値観の対立を回避する手段として立憲主義を採用するとしても,どこまでを民主主義で解決し,どこまでを民主主義で解決してはならないのか,ということをハッキリさせておく必要があります。
そこで用いられる線引きが,公私の区分です。大まかにいえば,『生存に必要な物資の分配という問題は「公」に属するものであって,個人的な価値観ではなく人々共通の尺度を基準として議論し,民主主義により決定されるべき』とされます。他方,『プライバシー権,思想良心の自由,信教の自由といった,(日本国憲法を初めとする)立憲主義的憲法において「人権」として保障されている範囲に属する問題は,「私」に属するものであり,民主主義による決定が否定される』としています。
4章と5章では,上記のこと(立憲主義の役割)を,信教の自由(政教分離),自己決定権,愛国心教育,表現の自由(公共財としての,自由な表現空間),マス・メディアの表現の自由といったトピックを取り上げ,それぞれの観点から検証しています。
そして第2部の最後(第6章)では,これまでの議論を応用し,近代国家・近代社会の成立過程を見ながら,多様な価値観の衝突を回避する立憲主義という方法が,具体的に,どのように展開されているのかが確認されます。
以上を踏まえ,第3部からは,いよいよ(本書の名目上の主題である)安全保障問題へと話が移ります。
先ず,国際社会において戦争を回避するための方策として,ルソーの提案(国民皆兵,同盟,および,社会契約の解消〔国家の自衛権の否定と,降伏〕)が紹介されます(第7章)。
そして,同様の問題について,平和主義という観点から再度検討するのが,第8章「平和主義と立憲主義」です。この章では,平和を維持するための方法として提案されるいくつかの方法(武装,非武装,同盟,中立など)について,それらを主張する論者が暗黙の前提としている国家観・戦争観と,提案との整合性,また,立憲主義との整合性が論じられていきます。
本書の結論──穏和な平和主義
本書は,結論として,
他国が自衛のための何らかの実力組織を保持することを完全には否定しない選択肢(160頁)を採用し,これを「穏和な平和主義」と呼んでいます(とすれば,「穏和でない平和主義」は,絶対平和主義のことを指すことになりましょう)。「穏和な平和主義」は,侵略に対する反撃を可能とすることで,長期的な平和を確保する方策です(160頁)。
ここでの憲法9条の位置づけは,『合理的自己拘束』というものになります。
つまり,防衛政策は,民主主義によって決定されるべきものですが,民主主義による決定が社会全体の利益に適うための条件,特に,有権者・議会に対する情報提供という条件が欠けるため,その判断が非合理なもの(例えば,不要な戦争を開始する決定)や,不必要な範囲に亘るもの(例えば,集団的自衛権)になる危険があります。また,各国が独自に軍備することは,軍拡競争を招きます。そこで,憲法9条による軍備の制限が,ある程度の不合理な決定の可能性を根本から否定するとともに,軍拡を抑制する役割を担う,というのです(155頁以下)。
なお,当然のことながら,穏和な平和主義は,平和的手段(和解,説得,援助など)による国際紛争の解決という手段を排除するものではありません。しかし,平和的手段が奏功するのは,その次のプロセスとしての『より強制的な手段』(軍隊による実力行使)が控えているからであって,そのための実力保持は,やはり否定されるものではありません(174頁以下参照)。
本書の結論──憲法9条改正は不要
また,憲法9条の改正について本書は,慎重な姿勢を示します(171頁以下)。そこでの論旨は,以下のようなものです。
『先ず,
一般に法規範といわれるもののなかには,ある問題に対する答えを一義的に定める準則と,答えをある特定の方向へと導く力として働くにとどまる原理とがある(171頁)。そして,憲法9条は,その文言に反するものは全て否定されるという「準則」ではなく,「原理」であるとします(例えば,憲法21条は一切の表現の自由が保障されるとしていますが,表現の自由を規制する法律も直ちに憲法違反とはされません)。よって,現状の憲法9条であっても,一定の軍備(自衛のための最低限の実力)を保持することは否定されない以上,現状維持で良い(憲法9条を改正する必要はない)のである。』
本書における改正不要論が明確に現れている部分を引用しておきます。
憲法第九条が準則ではなく,原理を示しているに過ぎないのであれば,自衛のための最低限の実力を保持するために,この条文を改正することが必要だとはいえないことになる。他人の名誉やプライバシーを侵害する文書を規制するために,憲法二一条を改正する必要がないことと同様である。結論に対する疑問
本書の結論には,当然,異論も見られます。先ず,穏和な平和主義に対する異論が,特に研究者の間から提起されています。しかし,これらは反論になっていないと考えます(これについては,改めて記事を執筆したいと思います)。
また,憲法9条改正が不要であるとの結論についても,特にウェブ上での異論が見られます。例えば,「長谷部恭男教授の<憲法9条改正不要論>の検討(下)」(松尾光太郎 de 海馬之玄関BLOG)と,「読書録401」(トート号航海日誌(読書録))です。特に前者では詳細に反論が加えられています。
ちなみに,戦後60年を経てもなお,上述した意味で非現実的であり,ともすれば立憲主義と抵触しかねない絶対平和主義が強く解かれている現状からすれば,ここで明確に「穏和な平和主義」も採りうるのもであるということを明確化することは,合理的なように思われます。
しかし,この「明確化」という要請は,改正の根拠足り得ないとする反論が,既に本書においてなされています。法律(憲法)は,最終的には法律家によって解釈・適用されるのであるから,法の素人にまで理解し易いようにする必要はない,という反論です(174頁以下)。
これに対する再反論は,困難であると思います。法の趣旨を明確化するための改正を行うとしても,結局のところ,衆参両院で各々2/3以上の賛成を得て,しかも国民投票で過半数を得るだけのコンセンサスが形成されなければならないため,憲法9条に対する『誤解』は,改正が現実味を帯びた段階で解消されることになり,明確化する必要性は(長谷部教授が主張するレベルから更に)大きく低下するからです。
それでも,たとえば判例理論を法律の条文に反映させる改正がしばしばなされるのと同様に,コンセンサスの得られた「合理的自己拘束」の枠を明確化することには,やはり意味があるのではないでしょうか。上記のように,憲法9条が「原理」であることすら否定されがちな現状は,その文言の「素直な」解釈から導かれているという特殊な事情を踏まえれば,そのように考えられると思うのです。
本書を読みこなすために
本書の議論を理解する助けになる,お薦めの文献として,Interactive憲法
ウェブ上で読めるものとして,「会見速記録 - 立憲主義と平和主義(PDF)」(日本記者クラブ)があります。これは,長谷部教授が,本書とほぼ同じ内容について,日本記者クラブで講演したものの記録です(2007年6月17日追記)。
本エントリ以外の書評
また,本書に関する書評として,以下のものに触れました。
・「読書録401」(トート号航海日誌(読書録))
・道田泰司「読書と日々の日記」(道田研究室)
・ビーケーワン
・アマゾン
・wrong, rogue and log
・「問いなおされて考えてみたこと」(bewaad institute@kasumigaseki)
・憲法問題を考えるBlog
…上述したところから明らかな通り,長谷部教授の展開する「憲法9条改正不要論」は,憲法9条を改正すべき根拠を与えないのと同様に,憲法を改正すべきでない根拠も与えるものではありません。これら書評の中でも,護憲・改憲両陣営から長谷部説に対する反論が試みられているのが,印象的です。
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> 「準則」ではなく「原理」
これには相当な違和感があります。そもそも国際法により侵略戦争は許されていませんし、海外派兵まで行っている現在、その理屈では第9条などあってもなくても同じ、ということになりかねません(←戦争に反対しているのではなく、改正すべきと考えています)。「表現の自由」に対する規制も極めて限定的に考えるべきなのであって、原理だからすべて否定しなくともよいということになれば、憲法の存在意義がゆらいでしまうのではないでしょうか。
「憲法」ってそんなに生易しいものであるべきではないと思っているのですが。
2007.06.15 02:11 URL | mohno #mQop/nM. [ 編集 ]
>mohnoさん
コメント有り難うございます。
国際法上,戦争が違法化されいることに言及されている意味を私が把握しきれなかったため,不正確なコメントになっているかも知れません。その場合には,ご指摘ください。
長谷部教授は,あくまで憲法9条を準則ではなく原理と解するのみで,同条が原理的に戦力保持を制約することは,当然認めています。具体的には,集団的自衛権は同条によって否定されるとお考えのようです。なので、同条が「あってもなくても同じ」ということにはならないように思います。mohnoさんが懸念されている内容は,長谷部教授が指摘する立憲主義と安全保障制度(いわゆる平和主義)との緊張関係とは異なる意味での緊張関係,すなわち,解釈論と現実との乖離が明確になることによって,憲法が権力を制限するという機能が損なわれていく,という指摘に近いもののように感じます。
また,mohnoさんは,<q>「表現の自由」に対する規制も極めて限定的に考えるべき</q>とおっしゃられているということから,表現の自由に対する規制(憲法21条の制限的な解釈)も許容されるとの理解を前提にされているのだと思います(違っていたら,すみません)。「原理」「準則」という言い方はともかく,表現の自由を保障した憲法21条を制限的に解しても<q>憲法の存在意義がゆらいでしまう</q>ことはない(すなわち,許容される)のはなぜなのか,言い換えれば,なぜ安全保障制度(憲法9条)については,それを制限的に理解さなければならないのか(長谷部教授風にいえば,なぜ「準則」と理解しなければならないのか)が問われているのだと思います。
2007.06.15 23:15 URL | kiyosakari(管理人) #- [ 編集 ]
返信ありがとうございます。
wikipedia にあったと思ったのですが(wikipedia を全面信頼するわけではないですが)明確には書かれていないようですね。私も原文にあたったわけではなく、妥当な参照先がないのですが、「侵略戦争」が国際法違反であるというのは間違いないと思います。また、国際的には「紛争を解決する手段」のひとつとして「戦争」が認められており、そのルール(捕虜の扱い、生物兵器の禁止など)も決められています。
第9条により「集団的自衛権は認められるが、海外派兵までは難しい」というレベルでの制約は掛けられるということであれば(多少)意味はあるのかもしれません。もっとも自衛隊は軍隊ではないというのは苦しい説明ですし、日本の“国際貢献”は、すでにこの範囲を超えていると思いますし(湾岸戦争のときのように資金の提供と派兵とは違うというのも苦しい)、同盟国が困っているときに手助けをしないのに、いざ自国が困ったときに支援なく自衛できるのだろうか、ということを考えると、現実に即した改正は必要であろうと思います。
2007.06.16 01:43 URL | mohno #mQop/nM. [ 編集 ]
>mohnoさん
細かいことで恐縮なのですが,言葉の定義が重要となりそうです。
私は,国連憲章によって,武力による威嚇及び武力の行使が否定されている(そして,それは国際慣習法にもなっている)と考えています。これにより,「戦争」(いわゆる侵略戦争)は国際法上違法とされ,他方,自衛権の行使(いわゆる自衛戦争)のみが合法とされる,と。
ですので,戦争(武力行使)が国家の採りうる手段として未だに残されている,という表現には,違和感を覚えます。緊急事態における暫定的措置としての自衛権行使が認められ,国家による武力行使については,戦時国際法というよりも,国際人道法が制約しているのではないでしょうか(もっとも,以上の点について,mohnoさんと私の考えとで重大な差はない〔実質的には一致している〕のかも知れません)。
次に,上記のことと、日本国憲法との関係ですが,日本国憲法がひとり「(侵略)戦争も政治カードの一つ」と宣言したところで,国際法上それが違法とされることに変わりはなく,また,国際法上認められた権利と同等の権利を憲法上規定しておかなければならないということもないと考えます。その意味で,両者に関連はないのではないでしょうか。
そして,私は,日本国憲法上の一規定である憲法9条が原理であるか準則であるかという解釈問題に,国際法が影響してくることはないのではないか,と考えています。ですので,mohnoさんが最初のコメントで準則・原理の判断に際して国際法を援用した趣旨を図りかねた,というのが前のコメントにおける質問の趣旨です。分かり辛くて済みませんm(_ _)m
さて,憲法9条による制約の内容についてですが,長谷部教授は,これまでの憲法9条に関する政府見解が,その内容がなんであっても,基準となるべきである,とお考えのようです。また,集団的自衛権の行使を憲法9条によって制限する(と解釈する)ことについて,好意的です。
そこでは海外へ自衛隊を派遣することについて直接触れられていませんが,それが自衛権行使としての派遣であれば,国際法上は,正当化されるのでしょう(だとすれば,自衛権行使ですらないPKO目的での派遣は,国際法上当然に適法となるように思います)。憲法9条が海外派遣をも制限しているのか,ですが,長谷部教授の議論に従えば,たとえ憲法9条の文言から一義的に結論が得られないとしても,仮に政府なり裁判所なりによる,『海外への自衛隊派遣は憲法9条に反する/反しない』という「有権解釈」があるならば,それに従うということになるのでしょう(現在の政府見解としては,当然,海外派遣は直ちに違法となるものではない,としています)。
上記したところ(と,本エントリの本文)から,mohnoさんの提示された3つの憲法改正の根拠(自衛隊は軍隊,日本の国際貢献の範囲拡大,同盟国との関係)を見てみますと,第一に,自衛隊が軍隊であるとしても,それが「穏和な平和主義」の枠内にとどまる(具体的には,自衛権の行使のため必要最小限の実力保持である場合)限り,憲法9条には反しないということになるのでしょう(憲法9条を原理と解する根拠は,そうしなければ立憲主義と抵触する可能性が大だから,ということになります)。第二に,国際貢献の範囲については,上述の通り,これまでの政府見解の枠内にとどまっており(当たり前なのですが),すなわち憲法9条には反しないということになるのでしょう。第三に,同盟国との関係ですが,一方的な同盟の実効性に疑問があるとしても,同盟国の自衛権行使に巻き込まれることよりはましだ,という判断から,依然として憲法9条による集団的自衛権行使の制限という「枠」は,合理的である,と返答することになるのだと思います。
2007.06.17 07:59 URL | kiyosakari(管理人) #- [ 編集 ]
なるほど。詳細なご説明ありがとうございます。
とはいえ、最後の段落が依然合憲であるというのであれば(←現に言っているわけですが)第9条で“制約”されるものは、どういうレベルのものなのか、という疑問は残りますが。
また、別の話ですが憲法=原理とするなら、たとえば第21条の財産権不可侵により、著作権保護期間を一度延長すると短縮することは極めて難しい(獲得した著作財産権が損なわれるため)と考えていたのですが、こうしたことも“理由次第”では決して不可能ではないということでしょうか。
2007.06.17 23:50 URL | mohno #mQop/nM. [ 編集 ]
>mohnoさん
>第9条で“制約”されるものは、どういうレベルのものなのか
長谷部教授が本書で想定している「制約」は,(1)保持できる戦力が,自衛のため必要最小限に制限されることと,(2)他国の自衛権のみを理由として自国の自衛権行使をすることはできないこと,の2つではないかと思います。もちろん,解釈次第でこれ以外の制約を見出すことも,理論的には可能なのだと思います。
>また、別の話ですが憲法=原理とするなら、…
いわゆる,財産権と事後法の話に関連すると思います。最高裁判例には,一度法律で定めた財産権の内容を,その後の法律で,権利者に不利な内容へと変更すること(民事事後法)を合憲であるとした事例があります(最大判昭和53年7月12日民集32巻5号946頁)。学説でも,民事事後法が,財産権を保障した29条を根拠に一律に否定されるとは考えられていない(つまり,「準則」とは考えられていない)と思います。
それに,財産権の内容については,公共の福祉による制約がかかることが憲法29条2項に明示されています。ですので,たとえ財産権を保障した規定を準則として理解したとしても(それがどのような理解なのか,『準則』の内容がどのようになるのか,よく分かりませんが),『延長→短縮』ということは十分可能ではないでしょうか。特に,著作権保護法制の存在理由を,それによって社会全体の利益が向上することに求めるならば,なおいっそう,そういえるのではないかと思っています。
2007.06.18 21:25 URL | kiyosakari(管理人) #vnc5oDBU [ 編集 ]
> 第9条の制約
これは制約が生じるのだとしたら、やはり改憲すべきではないかというのが私見ではあります(たとえば自国だけで“防衛”するのであれば、もっと増強が必要と思われるので)
> 最高裁判例
まったく知りませんでした。ありがとうございます。正直なところ、憲法に対する意識がだいぶ変わりました。一票の格差が5倍以上でも合憲とされたりするわけですね。
ちなみに、憲法29条2項は、そのように「法律で定める」と書いているので、認められた財産権を後から制限することまでは言及していないのではないか、とは思います。もっとも、実際には「社会全体の利益」を証明するのは難しいと思いますが(著作権に関しては)。
2007.06.18 22:21 URL | mohno #mQop/nM. [ 編集 ]
>mohnoさん
私も,明確化するための改正にも意味はあると考えますので,mohnoさんの私見と私の私見とはほぼ同じだろうと思います。長谷部教授は,現行の憲法9条でも制約が生じていることに違いはないのだから,改正の根拠ではない,とおっしゃるでしょうけれども。
2007.06.18 22:49 URL | kiyosakari(管理人) #vnc5oDBU [ 編集 ]
このコメントは管理者の承認待ちです
2009.11.14 20:46 | # [ 編集 ]
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