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<title>KSTK</title>
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<description>気になるニュースの論点整理と法的観点からの検討，法律関係書籍を中心とした感想文。</description>
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<title>非弁の証拠…？</title>
<description> 指定暴力団関係者のものと思われるファイルの流出が確認され、大騒ぎになっている。そうです(「指定暴力団資料が流出　組織名簿や心構え、香典支給基準…」(J-CASTニュース))。その中から，ちょっと気になることをメモ。それ以外で特徴的なのは、「引き直し」というエクセルのファイルだ。借金の利息の計算が簡単にできる仕組みで、いわゆる「過払い金返還訴訟」に関連したものと見られる。実際、流出したファイルの中には「訴状」
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<![CDATA[ <q>指定暴力団関係者のものと思われるファイルの流出が確認され、大騒ぎになっている。</q>そうです(「<a href="http://www.j-cast.com/2009/02/27036810.html">指定暴力団資料が流出　組織名簿や心構え、香典支給基準…</a>」(J-CASTニュース))。<br /><br />その中から，ちょっと気になることをメモ。<blockquote>それ以外で特徴的なのは、「引き直し」というエクセルのファイルだ。借金の利息の計算が簡単にできる仕組みで、いわゆる「過払い金返還訴訟」に関連したものと見られる。実際、流出したファイルの中には「訴状」というものが含まれる。訴状では、無職女性が福岡市内の信販会社に対して過払い金の返還を求めている。</blockquote>過払い金返還の交渉や訴訟を引き受ける非弁活動が暴力団の資金源になっているという証左といえるように思います。<br /><br />あくまで個人として，家族や親戚のため，がんばって引き直し計算をしていただけかもしれませんが…。<br /><br />なお，非弁活動とは，ごく簡単にいうと，弁護士資格がないのに，報酬を得るため，他人の紛争について，交渉や訴訟をすることをいいます。非弁行為は，弁護士法72条違反となります。<blockquote>（非弁護士の法律事務の取扱い等の禁止）<br />第七十二条 　弁護士又は弁護士法人でない者は、報酬を得る目的で訴訟事件、非訟事件及び審査請求、異議申立て、再審査請求等行政庁に対する不服申立事件その他一般の法律事件に関して鑑定、代理、仲裁若しくは和解その他の法律事務を取り扱い、又はこれらの周旋をすることを業とすることができない。ただし、この法律又は他の法律に別段の定めがある場合は、この限りでない。 <blockquote> ]]>
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<dc:subject>ニュース覚書・感想</dc:subject>
<dc:date>2009-02-28T17:05:15+09:00</dc:date>
<dc:creator>kiyosakari</dc:creator>
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<title>科学捜査が発達しても時効は必要</title>
<description> 「【主張】時効　撤廃も視野に深く論議を」（産經新聞）は，やや的外れな印象を受けました。時効の根拠を挙げながらも，結局は情緒的主張に終始しているからです。時効（公訴時効）の根拠時効（公訴時効，刑事訴訟法252条以下）を理由に免訴判決がなされ，刑事訴訟手続を打切ることとされている根拠としては，以下の2つが指摘されています（池田修・前田雅英『刑事訴訟法講義（第2版）』205頁）。第一に，時間の経過によって証拠が
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<![CDATA[ 「<a href="http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/081231/trl0812310242000-n1.htm">【主張】時効　撤廃も視野に深く論議を</a>」（産經新聞）は，やや的外れな印象を受けました。時効の根拠を挙げながらも，結局は情緒的主張に終始しているからです。<br /><br /><span class="newshead">時効（公訴時効）の根拠</span><br />時効（公訴時効，刑事訴訟法252条以下）を理由に免訴判決がなされ，刑事訴訟手続を打切ることとされている根拠としては，以下の2つが指摘されています（池田修・前田雅英『刑事訴訟法講義（第2版）』205頁）。<br /><br />第一に，時間の経過によって証拠が散逸し，実体的真実の発見が困難となった状態では，適正な審理が不可能であること<br />第二に，時間の経過によって犯罪の社会的影響が弱くなり，刑罰の必要性が減少ないし消滅したこと（注）<br /><br /><span class="note">注：私個人の見解としては，第二の点には納得がいきません。裁判所によって規範違反行為が認定されなければ，犯罪によって動揺した規範の効力を回復することができず，それは時の経過によって回復するものではない，と思われるためです。</span><br /><br />産経の記事では，以下のように説明されていますが，善解すれば，同趣旨を言うものでしょう（特に第二の点について。最近は，ここでも「被害感情」を前面に出して説明するのでしょうか？恥ずかしながら，私はそうした学説を知りません。）。<blockquote>時効は年月がたつと、証拠が散逸し、被害者感情も希薄になっていく、というのが主な理由とされている。</blockquote><span class="newshead">科学的証拠があれば大丈夫？</span><br />さて，産経の記事は，上記引用部分に続けて，以下のように述べ，時効撤廃という結論を導こうとします。<blockquote>しかし、今は警察の鑑識技術も進み、とくにＤＮＡ鑑定の精度は飛躍的に向上している。ＤＮＡ鑑定が容疑者に結び付き、解決する例も目立つ。</blockquote>科学的捜査手法が発達し，それによって刑事裁判における立証も変わってきました。しかし，DNA鑑定の試料（血液，精液，毛髪など）が犯行現場に残されているとは限りません。指紋も同様です。<br /><br />また，犯行現場に被疑者の血液や指紋が残されているからといって，直ちに当該被疑者を「犯人だ！」と結論づけられるとは限りません。安易にそれをやると，検察官なら上司に怒鳴られ，裁判官なら裁判長にあきれられ，弁護士（弁護人）なら解任され，そして，司法修習生なら二回試験に落第します。<br /><br />殺人犯行現場の血液を例にとると，それが犯人のものであることを立証できなければ，意味がありません。現場には犯人と被害者しかいなかったことや，犯人が出血するほどの怪我を負っていたことなど，周辺事情が判明しなければならないわけです。<br /><br />いわゆる科学的証拠も，結局は，他の証拠との関係において初めて威力を発揮しますから，その意味では，時間経過の影響を受けます。そして，科学的証拠を活かすには，初動捜査が肝心なのです。捜査の初期段階で，どれだけ証拠を収集し，それを保存できるかが，勝負です。いくらステキな科学的証拠があっても，それだけでは役に立ちません。<br /><br />よって，いくら優れた科学的証拠が採取できるようになったとしても，それが直ちに時効制度の存在意義を打ち崩すことにはなりません。<br /><br /><span class="newshead">プロファイリングがあるから大丈夫？</span><br />また産経の記事は，唐突に，プロファイリングによる犯罪捜査の話を持ち出します。<blockquote>さらに、捜査手法もさまざまな方法が取り入れられている。典型的なのが証拠が乏しく、目撃情報も少ない事件の捜査で、各種の統計データや心理学的手法を用い、容疑者像を割り出すプロファイリング捜査が行われている。</blockquote>プロファイリングは，確率論でもって犯人を割り出す，犯人捜索の補助的手段です。刑事裁判での立証には，使えません。なので，時効云々とは関連のない議論です。たとえプロファイリングで被疑者（犯人とは限らない）を特定しても，彼が「犯人」であるという証拠がなければ，結局，彼を有罪とすることはできません。逮捕すら難しいでしょう。<br /><br />なお，当然のことながら，世田谷一家殺害事件のように，プロファイリングが用いられたにもかかわらず，未解決である事件も存在します。<br /><br /><span class="newshead">産経の主張は，対立をあおるだけ</span><br />産経の記事は，以上の2点（科学的捜査の発展，プロファイリング）を指摘した後，以下のように言います。<blockquote>このような現状を考えれば、殺人など凶悪、重大事件に限り、時効制度を維持していくか、撤廃も視野に検討する必要があろう。</blockquote>しかし，この記事が<q>このような現状</q>として指摘した上記2点が，時効の存在意義を否定するもの（時効撤廃の根拠）にはならないこと，上述の通りです。また，<q>殺人など凶悪、重大事件に限り、時効を維持していく</q>という提案の根拠も，全く示されていません。<br /><br />そうすると，産経の記事で，時効撤廃（ないし時効制度の制限）の根拠として残るのは，被害者・遺族の無念の思いのみです。<br /><br />被害者・遺族の思い，被った害悪を無視してはならないと思いますが，それのみを理由にした主張は，被害者・遺族側と，時効制度維持派の対立を深めるだけです。<br /><br /><span class="newshead">おわりに（…揚げ足取り）</span><br />最後に，今年の揚げ足，取り納め。<br />産経の記事では，最後に，以下のように述べられています。<blockquote>被害者・遺族にとってはどんなに月日が経過しようと容疑者への憎しみはかわらない。</blockquote>憎しみの対象は，「犯人」であって，被疑者（容疑者）ではないでしょう。この記事では，冒頭部分でも，「犯人」とすべきところを一貫して「容疑者」と表現しています。<br /><br />被疑者（容疑者）は，犯人とは限りません！<br /><br /><span class="newshead">追記（2008年1月8日）</span><br />冒頭に詳解した記事に類似する記事として，「<a href="http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090103-OYT1T00714.htm?from=navr">殺人など重大事件、時効を撤廃含め見直し…法務省</a>」（読売新聞）及び「<a href="http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090104/trl0901041230001-n1.htm">公訴時効の延長や撤廃を検討　法務省が勉強会設置へ</a>」（産經新聞）に触れました。<br /><br />繰り返しになりますが，公訴時効制度の根拠として挙げられる2つまたは3つの根拠のうち，私が支持するのは，『時間が経過して証拠の散逸し，適正な審理が困難となることの防止』のみです。<br /><br />社会的影響（これに被害感情を含めたり，専ら被害感情だけを挙げる新聞記事も見られます）の減少であるとか，実質的な制裁であるとか，法的地位の安定という根拠もあります。<br /><br />ですが，私は裁判において有罪と宣言されることによって，侵害された規範が初めて回復されると考えますので，仮に社会的影響が減少するとして，それが処罰をしないことの根拠にはならないと思います。法的地位の安定も同様です。<br /><br />被害感情を前面に押し出す見解にも，同調できません。<br /><br />犯人が不明のまま時効を迎えた被害者・遺族のおかれた状況は悲劇的ですが，結局のところ，証拠が散逸してしまったのに，『被害者が可哀想だから，犯人っぽい人を罰する』のでは，真犯人以外だれも喜びません。<br /><br />また，DNA等で犯人を特定して起訴する制度も紹介されていますが，やはり私が指摘した危険は除去されないものと思います。<br /><br /> ]]>
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<dc:subject>刑事法・刑事事件</dc:subject>
<dc:date>2008-12-31T22:30:44+09:00</dc:date>
<dc:creator>kiyosakari</dc:creator>
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<title>もっと裁判官を！</title>
<description> 「新判事補７５人を採用　　法学未修コースで初」（閲覧には会員登録が必要）という記事によると，新61期司法修習生から，75人が判事補（裁判官）に採用され，旧61期から採用された24人と合わせると，99人が採用されたそうです。少ない。いかにも少ない。新旧61期司法修習生約2000名という人数との比較ではなく，絶対数として少ないと思います。ひまわり基金法律事務所や，各種公設事務所がそれなりに全国へ展開し，いわゆるゼロワ
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<![CDATA[ 「<a href="http://www.e-hoki.com/synthesis/legal/16884.html?hb=1">新判事補７５人を採用　　法学未修コースで初</a>」（閲覧には会員登録が必要）という記事によると，新61期司法修習生から，75人が判事補（裁判官）に採用され，旧61期から採用された24人と合わせると，99人が採用されたそうです。<br /><br />少ない。<br /><br />いかにも少ない。<br /><br />新旧61期司法修習生約2000名という人数との比較ではなく，絶対数として少ないと思います。<br /><br />ひまわり基金法律事務所や，各種公設事務所がそれなりに全国へ展開し，いわゆるゼロワン地域が解消した今，司法過疎地に必要とされているのは，支部に常勤する裁判官です。<br /><br />そして，裁判員制度対応のため，各地の民事部での人不足が懸念されることからしても，足りないのは，裁判官です。<br /><br />それが99名の増加では，いかにも少ない。<br /><br />統計資料等に基づく確固たる主張ではなく，あくまで私の感想に留まるのですが，いかにも少ない。<br />残念です。 ]]>
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<dc:subject>ニュース覚書・感想</dc:subject>
<dc:date>2008-12-25T23:31:24+09:00</dc:date>
<dc:creator>kiyosakari</dc:creator>
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<title>『みそ汁投げられる→反撃→依願退職』についての簡単なコメント</title>
<description> 「体罰の女性教諭を懲戒処分」　札幌市教育委員会は１８日付で、男子生徒の頭をたたくなど体罰を振るったとして市立信濃中の４０代の女性教諭を減給１カ月（給料の１０分の１）の懲戒処分とした。教諭は同日付で依願退職した。市教委によると、教諭は５月の給食時間中、１年の男子生徒に座って食べるよう注意。指導に従わないため服を引っ張って座らせようとしたが、抵抗され冷静さを失い、生徒の頭を平手でたたいた。興奮した生徒
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<![CDATA[ 「<a href="http://mainichi.jp/hokkaido/shakai/news/20081119ddlk01040297000c.html">体罰の女性教諭を懲戒処分</a>」<blockquote>　札幌市教育委員会は１８日付で、男子生徒の頭をたたくなど体罰を振るったとして市立信濃中の４０代の女性教諭を減給１カ月（給料の１０分の１）の懲戒処分とした。教諭は同日付で依願退職した。市教委によると、教諭は５月の給食時間中、１年の男子生徒に座って食べるよう注意。指導に従わないため服を引っ張って座らせようとしたが、抵抗され冷静さを失い、生徒の頭を平手でたたいた。興奮した生徒がみそ汁の茶わんを教諭に投げつけたことから、教諭は生徒の手の甲を数回たたいた。</blockquote>この女性教諭を擁護することは、難しいように思います。<br /><br />そもそも『暴力をもって物事をほしいままに実現することはできない』ということを教えるべき教師が暴力に頼ってはいけませんし（この点，体罰を禁じた学校教育法１１条ただし書を持ち出すまでもないと考えます），教諭が先に手を出している上，<q>冷静さを失い</q>ということですから，茶碗を投げつけられた後の暴行では，もはや教育目的は失われてしまったようにも思われるからです（ただし，最後の部分は，私の想像が入っています。）。<br /><br />ならず者を暴力で屈服させる快感は，時代劇好きな私にとって実に共感できることでもあるのですが，それを現実に実行してよいかどうかは，全く別の話です。<br /><br />減給処分が下されたのに対して依願退職しているとのことですから，教諭が地位確認の仮処分を求めるなどの訴訟には発展しないでしょう。 ]]>
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<dc:subject>論点整理・論考</dc:subject>
<dc:date>2008-11-23T10:19:04+09:00</dc:date>
<dc:creator>kiyosakari</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
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<title>証拠の絞り過ぎ？──裁判員制度・公判前整理手続</title>
<description> 裁判員制度を見据えて益々活用されている公判前整理手続では，公判の充実（短い時間で必要充分な証拠の取調べを行うこと）を図るため，争点整理とそれに基づく証拠の絞り込みが行われます。検察官の請求する証拠それ自体がかなり絞られ（例えば，複数の捜査報告書を検察事務官が作成する捜査報告書1つにまとめるということも行われています。），弁護人との合意書面の活用が推奨され，その上で裁判所がバッサバッサと請求された証
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<![CDATA[ 裁判員制度を見据えて益々活用されている公判前整理手続では，公判の充実（短い時間で必要充分な証拠の取調べを行うこと）を図るため，争点整理とそれに基づく証拠の絞り込みが行われます。<br /><br />検察官の請求する証拠それ自体がかなり絞られ（例えば，複数の捜査報告書を検察事務官が作成する捜査報告書1つにまとめるということも行われています。），弁護人との合意書面の活用が推奨され，その上で裁判所がバッサバッサと請求された証拠を却下していく（特に供述調書）ことによって，かなり証拠はスリム化されました。<br /><br />しかし，そうなれば当然「証拠の削りすぎ」という問題が出てきます。<br /><br /><a href="http://kanz.jp/hanrei/detail.html?idx=3811">広島高等裁判所平成20年9月2日判決（平成19(わ)184）</a>は，証拠を削りすぎたために破棄差戻をされた例なのかも知れません。しかし，原審の裁判官ばかりを責めるのは酷であるようにも思われます。当事者（特に検察官）には，より良い証拠を作成するため努力する余地があるように思うからです。<br /><br /><span class="newshead">原審の判断と高裁による批判</span><br />原審は，被告人が包丁でBの顔を切りつけたこと（そしてそれが生命に対する高い危険性を持つ行為であること）を主たる根拠に殺意を認定し，殺人未遂罪の成立を認めました（また，Bの夫であるAに対する殺人も認めています。）。上記高裁判決から，原審の判断を要約した部分を引用します。<blockquote>原判決は，その補足説明の項の第２の２で，被告人が，包丁でＢの顔面を切りつけ，顔面刺切創の傷害を負わせたこと，被告人は，本件現場に包丁を持って行き，Ｂに切りつけたことを認めており，その包丁を本件後に第三者が持ち去ったような状況は窺えないところ，本件で証拠物として取り調べられた包丁(以下「本件包丁」という)以外に，本件犯行現場付近から包丁は発見されていないから，本件包丁が，被告人が携帯し本件殺人未遂に用いた凶器であると認められること，本件包丁の刃体の長さは約１９センチメートルもあり，これで顔面を切りつけること自体，生命に対する危険性の高い行為であること，被告人は，執拗にＢらと話をつけようとして包丁を持ち出しているから，被告人のＢに対する怒りは非常に強かったと認めざるを得ないとして，被告人には殺意があったものと認められる旨説示している。</blockquote>そして本件広島高裁判決は，上記の点につき，原審の証拠からでは，顔面の創傷の詳しい部位と創傷の程度が認定できないため，「生命に対する危険性の高い行為だから，殺意が認められる」との推論は前提を欠くものであるとして批判しています。<blockquote>しかし，原審裁判所が取り調べた証拠によって認められる上記３の各事実からだけでは，被告人が，本件包丁で，Ｂの顔面のどの部位を，どの程度の力で切りつけたのかは全く不明といわざるを得ないのであって，その切りつけた部位や，その際の力加減次第では，同人の生命に対する危険が生じていたとはいえない可能性も十分に考えられる。したがって，原判決が説示するように，本件包丁で顔面を切りつけること自体，生命に対する危険性の高い行為であるとは断定し難い。</blockquote><span class="newshead">では，原審が悪いのか？</span><br />そして，この高裁判決の目を引くところは，上記引用部分の直後で，原審裁判所が証拠を削りすぎたことを示唆している点です。<blockquote>ところで，原審記録，特に検察官細谷和大作成の平成１９年１２月１７日付け意見書及び平成２０年１月１８日付け意見書によると，検察官が取調べを請求し，弁護人が同意意見を述べたにもかかわらず，原審裁判所が証拠調請求を却下した書証の中には，Ｂの負傷の部位・程度等を明らかにし，殺意の存在等を立証するために取調べを請求された，Ｂの負傷状況を立証趣旨とする写真撮影報告書(甲２)，Ｂの負傷状況及び成傷状況等を立証趣旨とし，同人の創傷の深さ等について担当医師が詳細に述べた内容を録取した警察官調書(甲３)，Ｂに対する犯行態様，殺意の存在等を明らかにするため，同人の本件被害当時の着衣の状況等を立証趣旨とする捜査報告書(甲15)が存することが明らかである。そして，これらの証拠を取り調べれば，上記４で指摘した原判決の説示についての疑問点は，氷解する可能性がある。</blockquote>これだけ読むと，「原審の裁判官はアホだなぁ」という話で終わってしまいそうですが，上記引用部分で指摘されている証拠は，弁護人も同意しているということなので，合意書面という形で要約・一体化することができそうですし，弁護人との協議が整わなければ，それらを総括した捜査報告書を作成して，これを証拠請求するという方法も考えられるところ，検察官の努力が足りなかったとも評価しうるからです。<br /><br />なお本判決は，Aに対する殺人の犯人性についても，これを認めるに足りる証拠が不足していることを指摘し（注），また，原審における証拠採否の経緯についても詳細に検討しています。<br /><br /><span class="note">注：「被告人が犯人でないという証拠がない」ということで，「被告人が犯人である」という結論を導いてしまうのは非常にまずいことです。</span><br /><br /><span class="newshead">法曹三者の信頼が必要</span><br />信頼に足る当事者（検察官・弁護人）が，十分に打ち合せをして，譲るところは譲り，十分に争点を整理した上で証拠を請求してくるのであれば，裁判所としても，あまり目くじらを立てて証拠を絞る必要はなくなるはずです。<br /><br />しかし裁判所は，おそらく，そうした当事者の努力（あるいは能力）が不十分であると考え，証拠を絞りにくるのでしょう。そこであまりにも裁判所が突っ走れば，証拠を見ていない弱みから，「絞りすぎ」という結果が生じてしまうのも，やむを得ないところだと思います。<br /><br />裁判所が信頼するに足る当事者が必要となるわけですが，そのためには裁判所が「信じてみる…」のが第一なのではないかと思います。もっとも，そうした信頼を裏切られ続けてきたからこその現状なのかも知れませんが。<br /><br /><span class="newshead">最後に，感想。</span><br />原審は，「証拠を削れ！」といってきた最高裁の方針に従っていたところで梯子を外されたというべきか，あるいはさすがにやり過ぎだっただけというべきか…。ともかくも，証拠の採否についての意識改革が，とりあえずの詰めの段階に入ってきたのかな，という印象です。<br /> ]]>
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<dc:subject>刑事法・刑事事件</dc:subject>
<dc:date>2008-10-30T21:28:10+09:00</dc:date>
<dc:creator>kiyosakari</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
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<title>サイゼリヤの謝罪・返金戦略は，強い。</title>
<description> 返金請求者の良心を信じるしかないというサイゼリヤの対応は株主に申し開きできない態度であると断じる町村教授のエントリ「Saizeriya:バカな高校生を引き寄せる愚かな店」について，私はむしろ株主には最も良く説明できる対応なのではないかと思うので，コメントします。町村教授の見方先ず，上記町村教授のエントリを一部引用します。要するに、この種の脇の甘い行為をすると、一見良心的なようではあるが、実のところ詐欺的行為
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<![CDATA[ 返金請求者の良心を信じるしかないというサイゼリヤの対応は<q>株主に申し開きできない態度</q>であると断じる町村教授のエントリ「<a href="http://matimura.cocolog-nifty.com/matimulog/2008/10/saizeriya-9e5c.html">Saizeriya:バカな高校生を引き寄せる愚かな店</a>」について，私はむしろ株主には最も良く説明できる対応なのではないかと思うので，コメントします。<br /><br /><span class="newshead">町村教授の見方</span><br />先ず，上記町村教授のエントリを一部引用します。<blockquote>要するに、この種の脇の甘い行為をすると、一見良心的なようではあるが、実のところ詐欺的行為を助長するのであり、こういうのは詐欺の幇助罪になるのではないかという気さえする。</blockquote>この部分は法律家ジョーク（注）なのでコメントは省きます。<br /><br /><span class="note">注：ジョーク，つまり町村教授も本気でサイゼリヤに詐欺罪の幇助犯が成立するとは考えておられないだろう，ということです。サイゼリヤには「共犯者」たる架空返金請求者の行為について故意が認められず，幇助犯が成立し得ないことは明らかです。「詐欺被害にあっても，会社の名誉を守るためなら仕方がない」という意識であれば故意（未必の故意）が認められるかも知れませんが，その場合は被害者たるサイゼリヤが法益侵害に同意していることになるため，そもそも詐欺罪が成立し得ないことになります。加えて，学説上，幇助犯の成立に歯止めをかけようという試みが多くなされています。教授も，そうした事情は分かった上で，サイゼリヤの行為の愚かさを象徴する意味において，<q>幇助犯になるのではないかという<strong>気さえする</strong></q>（強調筆者）と述べておられるのだと思います。「省く」と言いつつ，長々書きましたm(_ _)m</span><blockquote>百歩譲っても無責任な対応であり、「返金はおわびの気持ちで始めたことなので、お客様の良心を信じるしかない」というのは株主に申し開きできない態度である。</blockquote>しかし，この部分については，また別の見方もできるように思います。<br /><br /><span class="newshead">「謝ってしまう」という損害拡大防止策</span><br />つまり，専ら日本国内に店舗を設けている同社としては，日本では，『先んじて，大々的に謝れば，叩かれもせず，あるいは好かれる』という考え方に基づき，客離れ・不買運動・道義的な信頼の低下などによる損害を食い止め，会社の価値毀損を防ぎ，もって株主の利益を護る，という行為と見ることもできるからです。<br /><br />例えば，むしろ遅きに失した感のある松下電器によるファンヒーター回収ですらも，<a href="http://www.nord-ise.com/index.html">NORD</a>による「<a href="http://www.nord-ise.com/press0607/release_corprep0607.pdf">2006年企業レヒ&#12442;ュテーション調査</a>」（PDF）によれば，むしろ評価を挙げる要因になっており，他方，アルフレッド・N・シンドラー氏は，「日本ではまず謝るべきだった」と反省の弁を述べています（日経ビジネス2008年8月25日号）。<a href="http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20080825#1219622748">後者の例についてコメントした落合弁護士の言葉</a>は，実にシンプルで分かり易いものでした。<blockquote cite="http://d.hatena.ne.jp/yjochi/20080825#1219622748">日本人のメンタリティ、カルチャーとして、確かにシンドラー会長が言うような面はあって、刑事裁判の場に限らず「謝る」ということを求められ、そういった姿勢が「赦し」にもつながって行く、そのようなプロセスを経て再び共同体（一種の観念上のものになると思いますが）の構成員として迎え入れられて行く、という側面があるような気がします。</blockquote><span class="newshead">謝罪による防衛は二段構え</span><br />そして私は，今回のサイゼリヤの行為はそのような目的に担われたものであって，しかも奏功したのだろうと思います。<br /><br />この架空返金請求の話題が報道されても，人心は「サイゼリヤ可哀想」という方向に向かいやすい（向かった）一方，「サイゼリヤは馬鹿だなぁ」という，少なからず存在する意見によっても，「そんな馬鹿なレストランで食べるのは止めよう」という方向へは向かいづらく，いずれにせよサイゼリヤは客離れを防ぐため有効な手立てを講じたものと評価できるように思うのです。<br /><br /><span class="newshead">レシートを要求しない「ご時世」</span><br />なお，『年金支給漏れ問題』の時には，証拠（本件でいうところのレシート）がなければ支給できないということで，随分と批判がありました。<br /><br />レシートなしでも返金に応じるというサイゼリヤの対応は，最善かつやむを得ないものだったように思います。<br /><br /><span class="newshead">高校生のその後</span><br />ちなみに，架空返金請求をした高校生はサイゼリヤ側に弁償をしたようですね。「<a href="http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008102500327">「ピザ食べた」と高３うそ＝サイゼリヤから４０００円－千葉</a>」（時事ドットコム）を引用します。<blockquote>　ファミリーレストラン「サイゼリヤ」（埼玉県吉川市）が店舗で販売したピザの生地から有害物質メラミンが検出された問題で、千葉県八千代市の県立高校３年の男子生徒が実際にはピザを食べていないのに、市内の店舗に返金要求し、約４０００円をだまし取っていたことが２５日、分かった。<br />　生徒は既に各店舗に謝罪し、返金。経緯を説明するため県警八千代署を訪問した。同署は立件を見送る方針。</blockquote><q>立件を見送る方針</q>とのことですが，裏付け捜査に費やされる膨大な資源が節約され，捜査によって関係者に大きな負担がかかることもなくなったということで，よいことだと思います。この高校生の更生を心から望みます。 ]]>
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<dc:subject>ニュース覚書・感想</dc:subject>
<dc:date>2008-10-26T12:36:57+09:00</dc:date>
<dc:creator>kiyosakari</dc:creator>
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<title>ボクの「庶民感覚」が行方不明になりました。</title>
<description> 最近よく，麻生太郎総理大臣の「庶民感覚」を問題にしてこれを明に暗に批判する新聞記事を目にします。（追記：なおこの問題についてもっと興味深いことを愉快に語っておられるものとして，「バーの値段」（おおやにき）があります。ロシアに行ったらホテルのバーに行こう。）しかし，真に問題とされるべきは『庶民感覚の有無』ではなく，『少なくない国民が苦境に立たされる政策か否か』でしょう。更にいうと，仮に『少なくない国
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<![CDATA[ 最近よく，麻生太郎総理大臣の「庶民感覚」を問題にしてこれを明に暗に批判する新聞記事を目にします。<br /><br />（追記：なおこの問題についてもっと興味深いことを愉快に語っておられるものとして，「<a href="http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000567.html#more">バーの値段</a>」（おおやにき）があります。ロシアに行ったらホテルのバーに行こう。）<br /><br />しかし，真に問題とされるべきは『庶民感覚の有無』ではなく，『少なくない国民が苦境に立たされる政策か否か』でしょう。<br /><br />更にいうと，仮に『少なくない国民が苦境に立たされる政策』が実施されている場合においても，「庶民感覚」（注）の有無をもって批判することは，あまりスジがよいとは思えません。「庶民感覚」といった一政治家の感覚的直感的判断によって政策が左右されるのは，よいこととは思えないからです。<br /><br /><span class="note">注：ここでは「庶民感覚」を，「中程度の所得者たちが共有する金銭感覚」というぐらいの意味でとらえておきます。</span><br /><br />更に更に，「庶民感覚」を重視する考えの裏に，『「庶民感覚」を備えた政治家が権力を握っていれば，よい政策が実施される。』という根拠に乏しい幻想があるのだとすると，なおのこと，「庶民感覚」を問題視する見解には与することはできません。<br /><br />「庶民感覚」重視派は，議員宿舎の批判などしないのでしょうか。「一庶民」である私からすると，都心の一等地に低廉な家賃で住むことができ，それを喜ぶのは，まこと「庶民感覚」に合致するものだと思うのですが。<br /><br />あるいは，事務所としての利用実態がない実家を事務所として扱ったり，専ら私的に利用するものを政治活動に利用するものとして計上したりするのも，何とか費用を抑えようとする涙ぐましい「庶民感覚」の発露だからということで許してあげるのでしょうか。<br /><br />もちろん，これらは極論です。「庶民感覚」を重視する方々も，それ以外のファクターを全く考慮しないわけではないはずですので，多様その考慮から上記2つの結論を否定することは十分理論的だからです。<br /><br />しかしそうなると，庶民派の方々が，「庶民」と「守銭奴」との境目をどう見ているのかに興味が向きますが，おそらくそのようなものはないでしょう（注）。「庶民感覚」という言葉は，結局のところ，既に下した一定の評価を前提に，その評価を繰り返し別の表現で述べる際に用いられるものに過ぎないと言っていいように思います。。<br /><br /><span class="note">注：襤褸を着ていると吝嗇といわれ，かといって新しい服を買えば贅沢といわれるがどうすればよいかという問いに対し，道元が，中庸でいけと，答えにならない答えをしている（『正法眼蔵随聞記』）のもその証左といえるように思います。</span><br /><br />何にせよ，「庶民感覚」は，それに意味があると仮定しても，あくまで『よい政策』の立案・実行に関わる一要素・手段の一つに過ぎず，しかもそれは重要な要素・手段とは思われませんので，もっとほかのところに批判の目を向けるべきと思います（注）。<br /><br /><span class="note">注：それとも，麻生内閣は，こうした些細な点で攻撃を仕掛けるしかないほどにしっかりした政権なのでしょうか。そうだとすれば，実に喜ばしい事態なのですが，皆さんそう認識しているようには思われません。</span><br /><br />以上，述べてきた私の理論と価値観に照らしての『悪い例』として，「<a href="http://www.asahi.com/politics/update/1019/TKY200810190137.html">物価高を実感？　首相がスーパー視察、夕食は帝国ホテル</a>」（asahi.com）を，『よい例』として「<a href="http://www.yomiuri.co.jp/editorial/column1/news/20081023-OYT1T00837.htm">１０月２４日付　編集手帳</a>」（YOL）をそれぞれ挙げておきます。 ]]>
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<dc:subject>論点整理・論考</dc:subject>
<dc:date>2008-10-25T20:11:50+09:00</dc:date>
<dc:creator>kiyosakari</dc:creator>
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<title>裁判員制度導入は誰が決めたのか。</title>
<description> 裁判員制度が，平成21年5月21日から実施されますが，『裁判員制度導入は誰が決めたのか』『なぜ裁判員制度が導入されることになったのか』未だにそうした問いが散見されます（それ自体は，悪いことだとは思っていません）。模範解答は，「裁判員制度は，裁判員法に基づいて実施されるものであり，裁判員法は，国民の代表者たる…（中略）…よって国民自身が選択し導入した制度である。」というほかないのだと思いますが，今改めて，
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<![CDATA[ 裁判員制度が，平成21年5月21日から実施されますが，<br /><br />『裁判員制度導入は誰が決めたのか』<br />『なぜ裁判員制度が導入されることになったのか』<br /><br />未だにそうした問いが散見されます（それ自体は，悪いことだとは思っていません）。模範解答は，「裁判員制度は，裁判員法に基づいて実施されるものであり，裁判員法は，国民の代表者たる…（中略）…よって国民自身が選択し導入した制度である。」というほかないのだと思いますが，今改めて，ざっと制度導入の議論・手続の流れを整理しておきたいと思います。<br /><br />初めにまとめてみた上での私の感想を述べておくと，「市民の司法参加」ということの価値（これは裁判員法1条にもそのことが規定されている）がしきりに議論ないし強調されているのが印象的でした。現在，裁判員制度のアピールに際しては，「負担は重くない」「やりがい」「勉強になる」ということが全面に押し出されているように思います。しかし，「市民の司法参加」それ自体に本当に価値があると考えるのであれば，それをアピールするという正攻法が採られるべきではないでしょうか。<br /><br /><span class="newshead">裁判員制度導入までの議論の流れ（概略）</span><br />裁判員制度導入までの議論の流れを大まかに示せば，以下の通りです。<br /><br />発端は司法制度改革審議会であり（注），そこでの議論の成果物である「司法制度改革審議会意見書──21世紀の日本を支える司法制度」において，一般の国民が裁判官とともに刑事裁判を行う制度の創設が提言された。<br /><br />そして司法制度改革推進本部が設置され，同本部事務局に設置された裁判員制度・刑事検討会において詰めの議論がなされた後，複数回パブリックコメントの手続に乗せられて固まった「裁判員法案」が国会に提出され，可決された。<br /><br /><span class="note">注：なお，稀に年次改革要望書が裁判員制度導入の議論の発端であるという意見を見るのですが，私が確認した限り，年次改革要望書において，民事裁判・刑事裁判のいずれについても，陪審制・参審制を導入すべきという記載は見られませんでした。</span><br /><br />この司法制度改革審議会において国民の司法参加や，裁判不審云々と言われることになった原因は，あくまで私の印象とかすかな記憶からすれば，凶悪犯罪についての裁判について『死刑求刑→判決は無期懲役→世間（テレビ）が騒ぐ』ということが何回か繰り返されたことにあるのではないかと思っています。<br /><br /><span class="newshead">裁判員制度導入までの議論の流れ（年表編）</span><br />もう少し詳しく，年表として示すと，以下のようになります。<table class="table" summary="裁判員制度創設議論の流れ" border="1"><caption>裁判員制度創設議論の流れ</caption><tr><th width="200px">年月・会次</th><th>内容</th></tr><tr><td>平成11年7月</td><td>司法制度改革審議会設置</td></tr><tr><td>同年12月</td><td>「司法制度改革に向けて──論点整理──」公表</td></tr><tr><td>平成12年11月</td><td>「中間報告」公表</td></tr><tr><td>平成13年6月</td><td>「司法制度改革審議会意見書──21世紀の日本を支える司法制度」<br />…3つの柱「国民の期待に答える司法制度」「司法制度を支える法曹の在り方」「国民的基盤の確立」<br />「訴訟手続は司法の中核をなすものであり、訴訟手続への一般の国民の参加は、司法の国民的基盤を確立するための方策として，とりわけ重要な意義を有する。すなわち、一般の公民が、裁判の過程に参加し、裁判ないように国民の健全な社会常識がより反映されるようになることによって、国民の司法に対する理解・支持が深まり、司法はより強固な国民的基盤を得ることができるようになる。このような見地から、差し当たり刑事訴訟手続について、広く一般の国民が、裁判官とともに責任を分担しつつ協働し、裁判内容の決定に主体的、実質的に関与することができる新たな制度を導入すべきである」</td></tr><tr><td>平成13年11月</td><td>司法制度改革推進法制定</td></tr><tr><td>同年12月</td><td>司法制度改革推進本部設定（法8条）</td></tr><tr><td>平成14年3月</td><td>司法制度推進計画が閣議決定（法7条）<br />→関連法案を平成16年通常国会に提出予定</td></tr><tr><td></td><td>司法制度改革推進本部事務局に、裁判員制度・刑事検討会及び公的弁護制度検討会を設ける。</td></tr><tr><td>平成14年2月28日以降</td><td>「刑事手続への新たな参加制度の導入」（裁判員制度の導入）、「刑事裁判の充実・迅速化」「公訴提起の在り方」（検察審査会関係）について，全32回の会合。</td></tr><tr><td>第3回～10回<br />（平成14年4月23日よりあと～平成14年12月10日まで）<td>ヒアリングなど</td></tr><tr><td>第11回～27回<br />（平成15年9月25日まで）</td><td>たたき台が出て、それについての議論</td></tr><br /><tr><td>28回～30回<br />（平成15年12月10日まで）</td><td>制度概要の具体的検討</td></tr><tr><td>31回・32回<br />（平成16年7月6日まで）</td><td>司法性改革推進本部事務局作成の骨格案について議論。立案当局としての事務局の立場から作成。（31回）<br />32回では、刑訴法改正・裁判員法の成立経過及び概要の説明</td></tr><tr><td>平成16年3月2日</td><td>裁判員法案・刑訴法等改正法案を閣議決定→第159回国会に提出</td></tr></table>ここで注目すべきは，以下の通り，（形だけとはいえ）国民に制度の是非等を問うていることです。つまり，「いつの間にか裁判員制度なんてものが導入されることになっていた。聞いていない！」という意見をつぶすアリバイはしっかりある，ということになりましょう。<table class="table" border="1"><caption>国民からの意見募集の時期と意見数</caption><tr><th>時期</th><th>内容</th><th>意見数</th></tr><tr><td>平成14年8月1日<br />～10月31日</td><td>三本の柱について</td><td>3932件</td></tr><tr><td>平成15年1月10日<br />～3月20日</td><td>被疑者・非公認の公的弁護制度の整備</td><td>150件</td></tr><tr><td>平成15年4月1日<br />～5月31日</td><td>裁判員制度について、検察審査会制度について</td><td>842件</td></tr><tr><td>平成15年8月1日<br />～9月1日</td><td>「刑事裁判の充実・迅速化について」</td><td>154</td></tr><tr><td>15年11月18日<br />～12月17日</td><td>「考えられる裁判員制度の概要について」<br />「考えられる刑事裁判の充実・迅速化のための方策の概要について」<br />「考えられる検察審査会制度改正の概要について」</td><td>916件</td></tr><tr><td>平成16年1月30日<br />～2月13日</td><td>「裁判員制度の概要について（骨格案）」<br />「刑事裁判の充実・迅速化のための方策の概要について（骨格案）」<br />「検察審査会制度改正の概要について（骨格案）」）</td><td>77件</td></tr></table><span class="newshead">司法制度改革審議会での議論をごく簡単に追う</span><br />以下では，司法制度改革審議会における「国民の司法参加」に関する議論を，ある程度道筋がついた第53回会議まで，追ってみたいと思います。<br /><br /><span class="newshead">当初から陪審制を意識（第4回まで）</span><br />発端は司法制度改革審議会では初期の段階から，海外視察先を選択する際にも陪審制・参審制の実施状況を考慮すべきこととされ（<a href="http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/991001dai3.html">第3回議事概要</a>），「市民の司法参加」が価値あるものとの認識のもと，陪審制・参審制の導入検討が今後の方向性として挙げられています（<a href="http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/991014dai4.html">第4回議事概要</a>）。<br /><br />ちなみに，このとき司法改革の方向性として打ち出されていた「法曹一元制度」は，現在立ち消えになってしまいました。申し訳程度に，弁護士任官と，いわゆるパートタイム裁判官の制度が設けられているくらいです。もっとも弁護士任官制度は，弁護士が裁判官になりたがらないために活用されていない，という側面があり，更に，利用しにくい制度であるという面もあります。<br /><br /><span class="newshead">市民感覚から乖離した裁判官？（第5回）</span><br />その後の議論ですが，『判決が市民感覚と乖離したものとなっている』ということが特に検討のないまま前提とされている印象です。例えば<a href="http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/991101dai5.html">第5回議事概要</a>を見ると、庫山氏は，以下のような質疑応答をしています。<blockquote>○　市民感覚から離れた判決がなされるとのことだが、それはどこから生じてくるものと考えるか。<br />    （回答：裁判官と直接会って話をした訳ではないが、一般的には、裁判官は忙しすぎて、転勤も多く、外部との交流ができていないと言われている。）</blockquote>一言だけいうならば，忙しいながらも，たとえば子どもの行事を通じて地域社会と交わっている裁判官はたくさんいます。<br /><br /><span class="newshead">本格的議論（第26回まで）</span><br />その後は，第7回会議においてやや大きく陪審制について議論がなされ（<a href="http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/991126dai7.html">第7回議事概要</a>），以後断続的に陪審制・参審制についての意見が交わされています（<a href="http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/991213dai8.html">第8回議事概要</a>，<a href="http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai10/0120gaiyou.html">第10回議事概要</a>，<a href="http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai13/13gaiyou.html">第13回議事概要</a>）。<br /><br />そして第17回会議において，ヒアリングが行われています（<a href="http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai17/17gaiyou.html">第17回議事概要</a>，<a href="http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai17/17betten.html">第17回別添資料</a>（別添3　「国民の司法参加について」（論点整理）も参照。））。<br /><br />第19回会議においては，アメリカ、フランス、ドイツ、イギリスにおける陪審制・参審制についての報告がなされ，第26回会議においては，興味深いことに，日弁連のみが，現行制度改革のため陪審制の導入が効果的である旨回答しています（<a href="http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai26/26gaiyou.html">第26回議事概要</a>）。<br /><br /><span class="newshead" id="30gijimoto">集中審議──「裁判官は非常識ではない！」</span><br /><a href="http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/natu/natu3gaiyou.html">集中審議第3日</a>には，裁判官が非常識であるとの批判に対する反論が，初めて出てきます。<blockquote>○　現場の裁判官は、一生懸命その職務に精励しているのに、なぜ「常識がない」、「世間知らず」などという批判を受けるのか、強い疑問を持っている。そもそも、裁かれる立場にいれば裁かれる者の気持ちを理解できるようになるのであろうか、逆に、裁く立場にいても裁かれる者の気持ちに理解を示すことは可能なのではないか。裁判官は世間知らずという批判があるが、判事補10年の間に多種多様な事件を取り扱い、その中で裁判官として成長していく。また、地方勤務を通じて、一つのテリトリーの中でしか仕事をしない弁護士とは質的に異なる経験を積むことができる。判事補の間に判決の書き方だけを学んでいるのではない。むしろそうした形式的なことではなく裁判官として事件の内容に迫ることを学ぶのである。</blockquote><span class="newshead">法曹三者，それぞれ（第31回）</span>　次に注目すべきは，第30回会議における法曹三者からのヒアリングです（<a href="http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai30/30gaiyou.html">第30回議事概要</a>）。そこでは，陪審制導入に積極的な日弁連と，消極的（冷静）な法務省・最高裁という図式が見てとれます。しかも現在は，その図式が，表面的には（つまり，個々の法曹の意思はともかく，弁護士会，法務省（検察庁），最高裁という団体・組織単位で見ると）逆転しているように感じられるのは，興味深いところです。<br /><br />長いのですが，面白いので，<a href="#30giji">本エントリの末尾に引用</a>しておきます。<br /><br /><span class="newshead" id="31gijimoto">「国民の司法参加」の価値（第31回～36回）</span><br />第31回会議においては，委員からのレポートが行われています。『裁判官非常識』論はなりを潜め，『国民の司法参加はそれだけで価値がある』論が強調されています（<a href="http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai31/31gaiyou.html">第31回議事概要</a>，<a href="http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai31/31siryou.html">3つの別添資料（全て『国民の司法参加』を主題とするもの）も参照</a>。）。次の第32回会議でもそうですが，比較的バランスよく肯定的・否定的意見が交わされているようでいて，時に印象論が幅を利かせている，という感じを受けます（<a href="http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai32/32gaiyou.html">第32回議事概要</a>）。<br /><br />この31回議事録と32回議事録の一部を，末尾に引用しておきます（<a href="#31giji">第31回</a>，<a href="#32giji">第32回</a>）。<br /><br />そして，ある程度議論がつくされたところで，国民の司法参加に関する審議結果の取りまとめが行われています（<a href="http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai36/36gaiyou.html">第36回議事概要</a>，「<a href="http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai36/36siryou.html">別紙３：「国民の司法参加」に関する審議結果の取りまとめ[PDF] </a>」）。<br /><br /><span class="newshead">詰めの議論（第43回～53回）</span><br />次に陪審制・参審制が議論されているのは，第43回会議です。藤倉皓一郎帝塚山大学法政策学部教授，三谷太一郎成蹊大学法学部教授，そして松尾浩也東京大学名誉教授による説明と質疑応答があります（<a href="http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai43/43gaiyou.html">第43回議事概要</a>）。<br /><br />そして，第45回会議においては，制度の詳細についても踏み込んだ議論が行われ（<a href="http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai45/45gaiyou.html">第45回議事概要</a>），第51回会議においては高木委員の試案をたたき台とした議論が交わされており（<a href="http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai51/51gaiyou.html">第51回議事概要</a>），第53回会議においては，裁判員制度導入による影響を検討する段階に至っています（<a href="http://www.kantei.go.jp/jp/sihouseido/dai53/53gaiyou.html">第53回議事概要</a>）。<br /><br /><span class="newshead" id="30giji">第30回議事録からの引用</span><br />→<a href="#30gijimoto">本文に戻る</a>。<br /><blockquote>○　法務省の陪審制度の導入の是非に対する考え方如何。<br />　　(回答＜法務省＞：民主主義の理念に基づき主権者としての国民の判断に帰する問題であり、法務省自体として異を唱えるものではない。ただし、導入した場合の国民の負担や真相解明への影響など種々検討すべき問題があることを認識すべきであり、それなくしては真に国民の期待に応える刑事司法とはなり得ないものと考えている。)<br /><br />○　日弁連は、まず重罪事件に限定して陪審制度を導入するとの意見のようであるが、その後のスケジュールをどのように考えているか。<br />　　(回答＜日弁連＞：まず、刑事の重罪事件等に限定して導入する。そうすれば、国民の間に司法参加に対する自信が芽生えてくるであろうから、その状況を見て、民事事件(国家賠償など)、行政事件、労働事件等の他の分野の事件に広げていくことが望ましい。)<br /><br />○　陪審制度を導入した場合、実体法、手続法の見直しは必要となるか。<br />　(回答＜日弁連＞：戦前、陪審制度が導入された際には、実体法・手続法の改正はなく、運用上特に問題もなかった。現行の刑訴法は陪審制を採る米国流のものであることに照らせば、現在の実体法・手続法の改正をせずとも、法曹三者等の協力によって適正な制度の運用を図ることは十分可能である。)<br />　(回答＜法務省＞：意見書でも述べたとおり手続法･実体法の全面的な変革が不可欠である。) </blockquote><blockquote>○　戦前の陪審法の制定・停止の背景如何。<br />　(回答＜法務省＞：大正デモクラシーを背景として民主主義の理念に基づいて制定されたもの。施行に先立って政府としては国民への周知方に相当の意を用いたようである。しかしながら、次第に利用件数が減少し、戦争の影響もあって、陪審員の確保に困難を来たし国民への負担が過重となったことから、制度停止に至った。現在、陪審法自体は廃止ではなく施行停止という形になっている。)<br />○　戦前の陪審制度の利用件数が減少してきた理由如何。<br />　(回答＜法務省＞：陪審裁判を選択すると上訴ができなくなること、有罪となった場合、訴訟費用を負担させられることなど制度上の原因が指摘されている。その他、職業裁判官の裁判を受けたいという者が多かったとか職業裁判官が被告人に陪審裁判を選択させないように誘導したとの指摘もある。)<br />　(回答＜日弁連＞：陪審制度を根付かせる努力・熱意が足りなかったことが最大の原因ではないか。国民が制度自体を嫌っていた訳ではないと思う。)  </blockquote><blockquote>○　陪審制度については、いわゆる判断過程のブラックボックス化があるといわれる。裁判の使命としては真実を解明しその経過･結果を国民に明らかにすることが求められていると考えるが、陪審制度の下では有罪･無罪の結論が示されるだけ。それで国民に分かりやすい裁判といえるのであろうか。日弁連は、陪審制度における裁判の「理由」は両当事者の証拠調べと弁論の過程で明らかにされるというが、証拠の評価は総合的判断による場合(一人の証人の証言の一部が信用できるが、その余の部分は信用できないなど)が多いと思われる。そうした判断過程は、審理自体を見ているだけでは分からない。<br />　(回答＜日弁連＞：陪審制度の下では御指摘のような詳細な判断過程が外部には分からないことは事実であるが、それは制度の選択の問題であり、やむを得ないこと。ただし、陪審制度においては、少なくとも当事者の主張やそれをめぐる立証活動は法廷において一般の国民に分かりやすい形で進められる。御指摘の点は致命的なものとは思われない。)<br /><br />○　日弁連の考え方によれば、陪審制度が民主主義の理念に基づくものとしながら(「民主主義の理念に基づき国民たる陪審だけが最終判断を下す」)、陪審による裁判に対して上訴でき、しかも控訴審において職業裁判官による裁判も可能とされているが、基本的な理念において整合性がとれていないのではないか。<br />　(回答＜日弁連＞：陪審の評決に誤りがあればそれを是正する機会を保障することも重要であり、国民主権とともに基本的人権の保障を原理とする憲法秩序の中では十分成り立ち得るものと考える。また、上訴審で陪審の判断を破棄するときでも、職業裁判官は、差戻しの上、再度、別の陪審に判断をさせることになる。)<br /><br />○　公益の代表者である検察官に上訴を認めないとすることは相当ではないのではないか。<br />　(回答＜日弁連＞：その問題は陪審制度を採ることからストレートに導き出されるものではなく、憲法第39条の二重処罰の禁止の捉え方によるものと考えている。)<br /><br />○　民主主義の理念との一貫性を考えるなら、上訴審において、職業裁判官が陪審の判断を覆すというのではなく、上訴審でも陪審による判断を行うということになるのではないか(ちなみに、フランスでは、最近の改正により、参審制を採る重罪院の有罪判決に上訴が認められるようになったが、上訴審でも参審制がとられ、その構成は一審より参審員の占める比率が高くなっているとのこと。)。<br />　(回答＜日弁連＞：制度として御指摘のような形のものもあり得るとは思う。ただし、陪審制度は非常に負担の大きいものであり、被告人に有利な方向での破棄である上、差し戻してさらに別の陪審にかけるということであれば、原理的な問題は残るものの、一つの制度の在り方として許容されるものと考えている。)<br /><br />○　最高裁は、陪審制度においては誤判の確率が高いと捉えているようであるが、それはこの制度に特有の問題なのか。<br />　(回答＜最高裁＞：陪審は誤判防止の対策にはならないと考えられる。陪審員の判断はしばしば不安定であり誤判が多いという報告は数多くある。また、陪審制度は伝統的に真相を解明するシステムではなく、検察官には無罪という結果を、被告人には有罪という結果を納得させるシステムであると表現する論者もいる。)<br /><br />○　法務省は、陪審制度をとった場合には偽証罪の実効化などが必要とするが、その理由如何。<br />　(回答＜法務省＞：陪審制度の下では証拠調べは法廷供述が中心となることから、陪審の適正な判断を確保するためには、虚偽供述の防止を図らなければならない。証人のみならず被告人にも証言義務を課すことが必要なのではないか。陪審制度を採る英米においては偽証や供述拒否に対して厳しい仕組みがあり、仮に我が国で陪審制度を導入するのであれば、そうした英米の制度を参考としなければならない。)<br /><br />○　陪審制度は世界的に見て拡大傾向にあるのか、それとも縮小傾向にあるのか。<br />　(回答＜最高裁＞：イギリスにおいては、陪審の対象となる事件は、民事、刑事ともに縮小される傾向にあり、また大陸法系の国でも陪審制度から参審制度への移行が見られ、全体として見れば縮小傾向にあると考えている。)<br />　(回答＜日弁連＞：陪審制度を採る国が数多く上っていることが日弁連の調査で判明し、特に、スペインやロシアでは最近陪審制度を復活させるなどの動きが認められ、日弁連としては世界的には拡大傾向にあると考えられている。)<br /><br />○　日弁連の提案では、刑事陪審で事実誤認を理由とする上訴を認めることになっているが、米国では法律問題に限って上訴を認めている。米国では、実質は事実問題であるのに、例えば経験則違背に当たるなどとして法律問題となるように構成して上訴をしているということなのか。<br />　(回答＜日弁連＞：米国では有罪の場合には殆ど控訴される。実質は事実問題であるのに法律問題に該当するように整理して上訴することは珍しいことではない。我が国の戦前の陪審制度の下でも、裁判官の説示に誤りがあることを理由として無実の人間を救った例もある。そうであれば、事実問題を正面から上訴理由にすることを認めてはどうかというのが日弁連の考え方である。)<br />　(回答＜最高裁＞：事実問題を法律問題に関係するように理由を構成して上訴をするのと、事実問題をストレートに上訴理由として認めるのとでは本質的に大きな違いがあると思われる。)<br />　(回答＜法務省＞：陪審の判断につき事実認定を理由とする上訴を認めることは制度としての一貫性から説明がつかないのではないかと考える。国民の代表者である陪審が判断した結果を職業裁判官が覆すことができるというのは制度本来の趣旨が損なわれることになる。仮に、改めて別の陪審が判断するという仕組みを採るとしても、前の陪審も新たな陪審も国民の代表者であり尊重すべきことに変わりはないのではないかとの困難な問題も生ずる。)<br /><br />○　参審による裁判に対する上訴を認めるかどうかについての考え方如何。<br />　(回答＜最高裁＞：最高裁としては、評決権のない参審制度を提案しているが、そのような制度の下では上訴も認められることになろう。)<br />　(回答＜法務省＞：参審制度には多様なパターンが考えられる。制度設計の中でより良いものを採用すればよいことで、上訴を認める参審制度ということも十分考えられる。)<br /><br />○　最高裁が参審制の憲法上の問題として考えているのは、第76条第3項の裁判官の独立ということであろうが、現行の合議制の下でも、裁判官の意見が分かれた場合、多数決によることが想定されており、それは裁判官の独立に反するとは解されていない。参審に評決権を与えると、なぜ裁判官の独立を侵すことになるのか。<br />　(回答＜最高裁＞：憲法上の疑義を残さないようにするため評決権のない参審制度が無難であるというのが裁判所の提案である。評決権がなくとも、裁判官と同様に審理に加わり意見を述べることで、国民の見方、意見を反映した裁判を実現することは可能である。<br /><br />○　日弁連は、陪審制度と憲法第76条第3項の裁判官の独立との関係につき、「裁判官は陪審の評決に拘束される」旨の法律があれば、そうした法律に従うだけのことであり、憲法上の問題は生じないとの考え方のようであるが、憲法の趣旨に照らしてそういう法律を制定できるのかどうかが正に問題となるはずではないか。<br />　(回答＜日弁連＞：日弁連としても法律を作れば何でもできると考えている訳ではない。憲法の下で裁判作用において国民が担えるものは担っていこうということを申し上げたかったものである。)<br /><br />○　陪審制度の下における報道規制の在り方について何かアイディアはあるか。<br />　(回答＜法務省＞：具体的方法について特段のアイディアを持つに至ってはいないが、陪審員の予断・偏見を排除するための措置が必要という観点から、検討をしていただきたいと考えている。)<br />　(回答＜日弁連＞：個々の事件の中で裁判官が規制を施せるような仕組みが相当。)<br /><br />○　審議会の論点整理においては、国民一人一人が統治客体意識から脱却して統治主体として司法へ参加していくことが必要であるとの合意がされており、その観点からは陪審制度が望ましいはずである。最高裁としては陪審制度に消極的意見のようであるが、そうした当審議会の問題意識を踏まえているのか。<br />　(回答＜最高裁＞：御指摘の審議会の論点整理は承知しており、最高裁としても、国民の司法参加の意義は重要であると認識している。その上で、どのような参加の在り方が考えられるかということで、裁判所としての意見を述べさせていただいたものである。)<br /><br />○ 日弁連は重罪の否認事件に限ってしかも選択制として導入することを提案しており、日弁連の試算によると陪審の予想件数は580件程度にしかすぎない。それにもかかわらず、最高裁が、弁護態勢の現状からすれば陪審制度を実施することは殆ど不可能とまでいうのは如何なる理由によるものか。<br />　(回答＜最高裁＞：現行制度においても、弁護士の業務態勢は集中審理に対応できない状況にある。陪審制度になれば集中審理は必然であり、現在の弁護士の業務態勢を前提とすれば対応不可能と考えざるを得ない。仮に陪審裁判でなければ集中審理に応じられないとするなら筋違いとなる。)<br /><br />○　法務省が、陪審制度を導入する場合に刑事実体法の見直しが必要となるとする理由如何。<br />　(回答＜法務省＞：現行刑法は、故意、過失等の主観的構成要件を厳密に要求する大陸法系のものであり、これを一般国民に判断できるような単純なものに改める必要がある。陪審制度を採る英米においては、主観的構成要件を厳密に要求せず、また、外形的事実によって認定が可能となるような規定を設けるなど、陪審員が判断をしやすい仕組みを採っている。)<br />　(回答＜日弁連＞：戦前の陪審制度の下(当時も現行刑法が適用されていた。)で殺意が争われた事例があるが、特段の問題は生じていない。)<br />　(回答＜法務省＞：戦前の陪審制度についていえば、当時は旧刑訴法の予審制度の下での運用であることを頭に置いておく必要があることを付言する。) </blockquote>　現在，各地の弁護士会や日弁連がいうことと，上記引用部分において日弁連がいうこととはしばしば矛盾・対立していますが，日弁連というのはつくづく一枚岩ではないということを思い知らされます（私はそれでこそ弁護士集団であって，むしろいいことだと思っています。）。<br />→<a href="#30gijimoto">本文に戻る</a>。<br /><br /><span class="newshead" id="31giji">第31回議事録からの引用</span><br />→<a href="#31gijimoto">本文に戻る</a>。<br /><blockquote>①　石井委員、木委員及び吉岡委員から、各々別添の資料に従い、「国民の司法参加」についてのレポートが行われた。<br /><br />　　上記委員からのレポートを踏まえて、国民の司法参加の意義・趣旨を中心として、以下のような意見交換が行われた。<br /><br />○　「国民の司法参加」の問題は、２１世紀における法曹のプロフェッションとしての在り方や国民との関係をどのようなものとするかにもかかわっている。「法律の専門家だからすべて任せておけ。」という態度ではなく、法曹が国民一般との間でコミュニケーションをもつことが求められており、そのための具体的な制度設計として、どのようなものが相応しいかとの視点に立った検討も必要である。<br /><br />○　例えば、法廷での証人尋問の際の証人の非常な緊張ぶりを見ればよく分かることであるが、プロである法律専門家の意識と国民の意識との間には大きな乖離がある。法律専門家の意識に反省が求められており、その上で「国民の裁判」として相応しい制度の在り方を検討する必要がある。<br /><br />○　すべての訴訟について陪審制を導入することについては、わずか戦後５０数年に過ぎない我が国の民主主義の歴史の中で培われてきた日本人の意識がこの制度を支えるに足りるだけの成熟をみたといえるのかどうか、無視し得ない諸外国との歴史・文化の違いなどの問題もあり、慎重に検討する必要がある。<br /><br />○　普通選挙の導入や女性への参政権付与などの改革の歴史をみれば明らかなとおり、改革を実行するためには何らかの「きっかけ」が必要である。陪審制についても「きっかけ」が必要なのであり、条件が整わなければならないとの議論をしていたのでは、到底導入できない。また、陪審制を導入したとしても、すべての訴訟をその対象とする訳ではなく、どのような裁判を望むかにより、職業裁判官によるか陪審制によるかを選び得るという当事者の選択の権利を保障することに大きな意味がある。<br /><br />○　普通選挙を導入する際の明治憲法下の帝国議会においても、日本人の国民性、我が国の歴史・伝統、国民の政治的能力などを持ち出して消極的な議論が行われた。改革を行う際には、必ずそのように改革のエネルギーを削ぐ議論が行われがちである。しかし、現在の司法の現状を放置していては、早晩国民の間から強い反発が吹き出してくるであろう。プロの法律専門家と国民一般の間では、それほどまでに摩擦熱が高まっている。<br /><br />○　陪審制の問題は、職業裁判官によるか陪審制によるかを当事者が選び得るようにすればよいというだけでは済まされない。訴訟の当事者だけの問題ではなく、国家の有する刑罰権の発動たる刑事司法においては、真実を国民の前に明らかにするとの要請などを踏まえれば、国民一般も広い意味で当事者であり、国民一般がどのような裁判を望むのかも考慮されねばならない。<br /><br />○　国民一般が求めているのは、結論としての判決をどうすべきかではなく、裁判の過程をよく分かるようにすることではないか。陪審制の導入により、裁判の過程が国民の前により容易に理解され得る形で明らかにされることとなる。<br /><br />○　「陪審制（又は参審制）を導入せねばならない。」ということを前提にして審議することは適当でない。より柔軟に、我が国の社会になじむ制度の在り方を検討することとしなければ、せっかく制度を導入しても結局根付かないこととなってしまう。また、陪審制の導入の検討に当たっては、冤罪・誤判の問題についても考慮することが不可欠であるとの指摘もある。<br /><br />○　戦後我が国の冤罪事件の中には、無実の者に死刑判決が確定してしまった事例さえある。このようなことに対する法律専門家の反省の上に立って、「国民の司法参加」についての議論に臨まねばならない。 </blockquote>→<a href="#31gijimoto">本文に戻る</a>。<br /><span class="newshead" id="32giji">第32回議事録からの引用</span><br /><a href="#31gijimoto">本文に戻る</a>。<br /><blockquote>前回に引き続き、「国民の司法参加」について、以下のような意見交換が行われた。<br /><br />○　憲法解釈として、直接国民が参加しなければ司法に民主的正統性がないとまでは言えない。国民主権から司法参加が直ちに導かれる訳ではない。むしろ国民の司法参加は、裁判をより国民に開かれ、より健全な常識を反映し、より強固な国民的基盤を確保するためという相対的見地から検討されるべきものではないか。陪審制の導入は裁判所改革の視点からも主張されており、裁判官改革、法曹養成制度改革などとの関連を考えて、多面的に考えるべきである。<br /><br />○　価値観、科学技術、国際関係が現在大きく変動しているが、制度は最も変わりにくい。本審議会に法律専門家以外が加わっている意義は、社会的変化を制度改革に反映させるためである。我が国でも過去に国民の司法参加が行われていたこと、戦後長く放置されてきたことを重く見るべきである。国民が司法参加を通じて民主主義のプロセスを学ぶことは重要である。<br /><br />○　国民のトレーニングという視点を強調しすぎると、裁かれる立場の利益を損なうことにもなりかねない。<br /><br />○　我が国は、長くお上依存、その反面としての私益追求・権力糾弾型でやってきたため、パブリック意識が強い英米とは実態がかけ離れている。民主主義の定着には、教育や地方行政などの改革が先決であり、この時期にいきなり陪審制を我が国に導入することが最善か疑問である。<br /><br />○　お上が全てを決めるような制度は限界に来ている。主権者たる国民の参加は理念的に望ましいのであり、他をやることが先だからこちらはやらないということにはならないのではないか。<br /><br />○　陪審が職業裁判官より誤判が多いという議論は成り立たないのではないか。統治主体意識を涵養するため、国民が責任をもって参加していくことが重要であり、その方向での道筋をつけるべきである。<br /><br />○　陪審と職業裁判官とでどちらが誤判が多いかについて結論を出すことは困難である。陪審制の下でも誤判があるという事実は、陪審が誤判を回避する妙案だということにはならないということを示している。国民が参加する場合にも何らかの問題は残るので、それをいかに手当てするかが重要ではないか。<br /><br />○　米国では陪審制の消極的評価も聞く。実際に陪審裁判を経験した人の意見を聴くべきではないか。<br /><br />○　米国で陪審員を体験した人によれば、陪審員として呼ばれることを喜びはしなかったが、選挙権がある以上陪審員となる義務があると認識しており、実際に体験した中身についても積極的評価をしていた。　<br /><br />○　人から与えられた証拠だけをみて判断しろと言われても、自分には到底無理である。あらゆるものには専門職があり、自分なら、専門家に判断してもらいたいと考える。<br /><br />○　陪審制や参審制は諸外国で実際に機能している。陪審裁判を選択制とすれば、専門家に判断してもらいたい人は、職業裁判官の裁判を選べばよいのではないか。<br /><br />○　陪審・参審は、国民に義務を課する点が現行の司法委員制度等と決定的に異なる。仮に導入するなら、義務を免れる人を多く出さないことが不可欠だが、今この時期に国民にそのような義務を課することが適当か疑問である。国民は、自らの考えを論理的に言葉で表明する訓練を受けていないし、自分の子供のしつけや地域の子供を叱ることさえまともにできないのが実情ではないか。果たしてそのような義務を受け入れる素地があるのか。国民の選択に属する重要な問題なので、国民投票で問うとの結論もあり得るのではないか。<br /><br />○　本審議会は、審議会設置法、国会同意人事による委員任命等により、13人の委員に国民的見地からの審議が託されている。設置法や国会付帯決議には、審議会が司法参加について意見を示すべきことが明示されている。<br /><br />○　統治主体意識へ転換すべきこと、国民と司法との距離を縮めること、旧憲法下でも司法参加の実績があることを重視して判断すべきである。<br /><br />○　検察審査会の実績をみると、審査員に選ばれた者は皆真剣に対応している。日本人も、機会を与えられれば公的責務を果たすべく努力するのではないか。<br /><br />○　知的財産などでは専門参審制の導入が必要と考えるが、これは一般的な国民参加とは性質が異なるので、別途議論するということについては、異論はないのではないか。<br /><br />○　知的財産紛争は国際化しており、諸外国と国益をかけて戦わねばならず、専門参審制は是非とも必要である。<br /><br />○　国民が司法に参加する形は、訴訟手続への参加以外にも、裁判官の選任過程への参加、裁判所・検察庁・弁護士会の運営への参加など様々なものがありうるので、幅広く議論すべきである。<br /><br />○　本審議会には、国民の司法参加について発信することが求められている。公共意識を醸成するには、様々な方法論があるが、やれるところから手をつけていくべきである。公聴会等でも強い関心が寄せられている。司法参加には様々な局面があるが、訴訟手続への参加はその重要な一つであることは確かである。諸外国の陪審制・参審制には様々な形態があり、それぞれ長短があるが、大事なのは我が国にとって望ましい制度をどうするかである。陪審か、参審か決め打ちをするのでなく、裁判の内容に一般国民が関与する視点から制度的に掘り下げていくべきことについては、異論はないのではないか。<br /><br /><br />　このような議論を踏まえて、訴訟手続への参加の制度的内容、すなわち参加の対象となる訴訟手続、参加する国民の選び方、参加する国民と裁判官との関係等を中心に議論を行うこととなり、以下のような意見交換が行われた。（参加の対象となる訴訟手続）<br /><br />○　参加の対象となる訴訟手続については、当面、一部の刑事事件とし、被告人が選択しうるような形で導入すべきである。<br /><br />○　具体的な制度内容が曖昧なままで、対象とすべき範囲を論じることは困難ではないか。<br /><br />○　国民と専門家のコミュニケーションを促進するためであれば、一部の刑事事件などと範囲を限定せずに、参審で職業裁判官と対話しながら意見を言える参審制を導入することが望ましいのではないか。<br /><br />○　国民の常識を反映させる見地からは、刑事事件の中でも、難しい重大事件でなく、常識で裁けるような業務上過失や道交法違反などの日常的事件から始めることも考えられる。<br /><br />○　歴史的・現実的に考えると、当面は一部の刑事事件に限定した方がよい。刑事でも複雑な詐欺事件や証取法違反などの専門的な事件は除外すべきである。民事訴訟での司法参加は、時間や経済的な負担が重くなりすぎるので、英国ではやらなくなった。<br /><br />○　民事司法の分野での法創造機能を考慮すると、国民参加に一定の意義も認められるが、実際問題として民事訴訟への導入は難しい。<br /><br />○　将来的には対象を広げることが理想だが、先ずはできるところから段階的に導入すべきである。<br /><br />○　裁かれる被告人の選ぶ権利を重視し、請求陪審制とすべきである。<br /><br />○　被告人側の選択にのみ委ねるような仕組みは不適切である。刑事司法では、被害者の存在も考慮すべきであり、被疑者・被告人の利益のみを重視するのは問題ではないか。<br /><br />○　どのような形態の裁判が適切かという視点から議論すべきであり、選択を認めるとしても、その選択肢が望ましいものである必要がある。諸外国でも参審制の場合は、選択を認めず、対象が法定されているのが通例である。<br /><br />○　主として刑事事件としておき、更なる限定の仕方については、具体的制度設計の段階で検討すべきことについては、異論はないのではないか。（参加する国民の選び方）<br /><br />○　参加する国民の選び方については、例外を設けず、広く一般国民から無作為抽出で選ぶべきである。<br /><br />○　ドイツの参審制のように、本人の応募や政党等の推薦により選ぶ例もある。<br /><br />○　全国民から単純に無作為抽出するのではなく、家計調査の統計調査手法に倣い、適切な参加者構成を得たり、明らかな不適格者を排除するため、何らかの階層区分ごとに無作為抽出するなど、一定の基準・手法が必要ではないか。<br /><br />○　諸外国では不適格者を法定している例がある。それ以上は、資格要件を限るべきでない。<br /><br />○　司法参加の対象候補者の母集団を毎年度あらかじめ設定し、対象者に年度当初に通知しておき、その中から必要に応じて無作為抽出することも考えられる。<br /><br />○　対象を広く一般国民とすることについては、異論はないと考えられるが、一般国民の具体的な選び方については、いろいろな考え方がありうる。（参加する国民と裁判官との関係等）<br /><br />○　参加する国民の役割については、事実認定に限定せず、法的問題にも広げるとの考え方もあるのではないか。<br /><br />○　職業裁判官と参加する国民の役割分担を明確にし、一般国民には事実認定のみを委ねるべきである。<br /><br />○　法律問題も一般国民が理解できるものとなるよう、専門家と一般国民とのコミュニケーションを促進することは意味のあることなので、参加する範囲を事実認定に限定する必要はないのではないか。<br /><br />○　審理のどの範囲・場面まで国民が参加するのかについては、具体的制度設計の中で別途検討すべきである。<br /><br />○　参加する国民に評決権を与えることについて違憲論も存在するが、合憲と解釈する余地がある以上、入口論で無理とするのでなく、実質論として、制度の具体的中身の議論をすべきである。<br /><br />○　国民が主体性をもって関与することが重要である。国民は独立した権限を持って決定に参画すべきであり、その場合に職業裁判官の側には評決権を持たせるべきでない。裁判官が説示などでどの程度関与すべきかについては議論の余地があろう。<br /><br />○　事実認定について、職業裁判官にも評決権を認め、一緒に判断する方がよいのではないか。<br /><br />○　諸外国には職業裁判官と参加する国民との関係では様々な制度がある。合議体方式にすると裁判官にリードされ過ぎると決めつけるのでなく、制度上の工夫もありうるのではないか。<br /><br />○　国民の価値観を反映させたりすることが目的であれば、評決権のない参審制でも意味がある。違憲の疑いがあるならばそれに配慮すべきではないか。<br /><br />○　ドイツの参審制を視察した際、職権主義的運用の下で国民参加が形式的なものとなっている印象を受けた。少なくとも、評決権のない参加は参加とは言えない。国民参加の名に値する制度とする必要がある。<br /><br />○　国民が裁判過程に加わるとする以上、中途半端な制度とすべきでない。実質的に主体性を確保するため、単なる意見表明だけでなく責任も負わせることが適当である。<br /><br />○　陪審と呼ぼうが参審と呼ぼうが、英訳すればJury（陪審）となろう。あえて新語をつくる必要はなく、問題は中身である。戦前の旧陪審制では、裁判官の役割を具体的に規定しており、参考となるのではないか。　国民の訴訟手続以外への参加については、以下のような意見交換が行われた。<br /><br />○　裁判官選任過程への参加、裁判所運営への参加については、裁判官制度・法曹一元の議論とも関係するので、改めて審議することについて異論はないのではないか。<br /><br />○　裁判官評価や裁判所運営について国民の意見を聴取して反映させる仕組みや、最高裁及び下級審の裁判官の選任過程、最高裁裁判官の国民審査のあり方等については、国民の司法参加の観点からも極めて重要である。<br /><br />○　多くの国民がロースクールを経て法曹になること、多くの弁護士が裁判官になることも、広い意味での司法参加の一つと考えるべきではないか。　現行司法参加制度の改革については、以下のような意見交換が行われた。<br /><br />○　調停・司法委員・参与員制度や保護司制度などを充実させるということについては、異論はないのではないか。<br /><br />○　検察審査会の議決に法的拘束力を付与すべきであるということについては、異論はないのではないか。<br /><br />○　検察審査会の議決に法的拘束力を付与する場合には、組織・権限、運用のあり方、とりわけ決定の種類や要件、審査のやり方、訴訟追行主体等について詰める必要がある。その際、適正手続の確保の観点も欠落してはならない。<br /><br />○　検察に起訴権限を完全に独占させ、検察審査会の議決に法的拘束力を認めない現行制度にはやはり問題がある。拘束力付与の方向性は決めておき、具体的制度設計については別途議論すればよいのではないか。<br /><br />　以上の意見交換を踏まえて、会長が次のような取りまとめを行い、了承された。<br /><br />    　「２１世紀の我が国社会において、国民は、これまでの統治客体意識に伴う国家への過度の依存体質から脱却し、自らのうちに公共意識を醸成し、公共的事柄に対する能動的姿勢を強めていくことが求められている。そのような中で、司法の分野においても、主権者としての国民の参加を拡充する必要があり、法曹は、こうした国民とともに、司法を真に実のあるものとして発展させるべき責務がある。　　我々は、国民の司法参加に関する我が国のこれまでの経緯・経験をも踏まえつつ、上記のような国民と法曹の関係の在り方を基礎として、司法制度全体の中で、国民の参加を拡充すべきものと考える。 　　訴訟手続への参加については、陪審・参審制度にも見られるように、広く一般の国民が、裁判官とともに責任を分担しつつ協働し、訴訟手続において裁判内容の決定に主体的・実質的に関与していくことは、司法をより身近で開かれたものとし、裁判内容に社会常識を反映させて、司法に対する信頼を確保するなどの見地からも、必要であると考える。　　今後、欧米諸国の陪審・参審制度をも参考にし、それぞれの制度に対して指摘されている種々の点を十分吟味した上、特定の国の制度にとらわれることなく、主として刑事訴訟事件の一定の事件を念頭に置き、我が国にふさわしいあるべき参加形態を検討する。」 </blockquote>→<a href="#31gijimoto">本文に戻る</a>。 ]]>
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<dc:subject>刑事法・刑事事件</dc:subject>
<dc:date>2008-10-24T23:02:18+09:00</dc:date>
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<title>国選弁護人報酬水増し請求，雑感</title>
<description> 黒瀬文平弁護士による不正な国選弁護人報酬請求は，故意にやったのではなく，過失だったとしても，大した違いはないものと考えます。もちろん，故意でなければ詐欺罪は成立せず，不正に受領した報酬を返還すべき義務を負うのみです。しかし私が問題にすべきと考えるのは，故意でも過失でも「大差ない」と考えるのは，職業倫理違反の点です。過失も無能も，非難してよい。弁護士は，高い専門知識と職業倫理をもって公益的業務に従事
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<![CDATA[ 黒瀬文平弁護士による不正な国選弁護人報酬請求は，故意にやったのではなく，過失だったとしても，大した違いはないものと考えます。<br /><br />もちろん，故意でなければ詐欺罪は成立せず，不正に受領した報酬を返還すべき義務を負うのみです。しかし私が問題にすべきと考えるのは，故意でも過失でも「大差ない」と考えるのは，職業倫理違反の点です。<br /><br /><span class="newshead">過失も無能も，非難してよい。</span><br />弁護士は，高い専門知識と職業倫理をもって公益的業務に従事する対価として，社会から，ある一定分野についての独占権を与えられているものと考えます。独占による利益が公益的活動に費やされるという循環が良いものとされ，許されるのは，社会の信頼あってこそです。<br /><br />そうした弁護士たちには，社会からの信頼を護るべき義務があるところ，過失による信頼への違背も，その過失を生み出した無能すらも，非難の対象にしてよいものであると私は考えます。<br /><br />まして接見の時期は後に自白の信用性を争うなどの事態が生じた場合には重要な事実となる以上，これを正確に記録しておくことは刑事弁護人として当然のことです。<br /><br />黒瀬弁護士において非難されるべきは，不正な報酬の受領ではなく，弁護士に対する社会的信頼を毀損したことです。不正受領分が返還されたとしても，そのことは重視されるべきではありません。<br /><br /><span class="newshead">本来，ノーチェックで当たり前。</span><br />毎日新聞の小林直記者は，<blockquote>国の税金か&#12441;ノーチェックて&#12441;弁護士に支出されていた。</blockquote><blockquote>容疑者の人権を守り冤罪(えんさ&#12441;い)を防く&#12441;ために、被疑者段階の 国選弁護か&#12441;必要なのは言うまて&#12441;もない。一方て&#12441;多額の税金を投入する以上、ノーチェックて&#12441;支出を認める現状は許されない。法テラスはもちろん、法務省、日本弁護士連合会は協力して改善策を打ち出すへ&#12441;きた&#12441;。</blockquote>と述べ，自己申告制に疑問を呈しています（「<a href="http://mainichi.jp/select/jiken/news/20081010ddm041040144000c.html">国選弁護報酬水増し請求：「制度の根底揺るがす」　法テラス、言い値で支給</a>」）。そのような批判が出てくることはもっともなのですが，しかし，この程度のことでもチェックが必要と言われてしまう弁護士たちは，社会から最低限の信頼すらも得られていないということにはならないでしょうか。<br /><br />少なくとも，弁護士の統合的な理想としてしばしば呈示される「プロフェッション」とはほど遠い姿です。<br /><br />そうなれば，弁護士たちに認められている自治権や，事業の独占といった特権についても，それを与える必要があるのかという議論に発展しかねません。<br /><br />弁護士の基本である刑事弁護の分野において黒瀬弁護士が仕出かしたことは，国選弁護人報酬制度のみならず，弁護士制度をも揺るがすものと捉えるべきです。<br /><br /><span class="newshead">国選弁護人の報酬は，まだ少ないのに…。</span><br />裁判員制度が施行され，刑事事件の公判が原則連日開廷となれば，弁護士の負担は益々増えます。最近は，冒頭陳述で検察官がパワーポイントを使用することが増えましたが，検察官・検察事務官は，資料作成時間についても給与が支給されます。残業などをすることにはなるでしょうが，それでも最低限の給与は出ます。これに対し，弁護士は，当該資料作成時間からは全く報酬が発生しません。他の仕事を圧迫するので，間接的に，他の仕事からの報酬すら削られましょう。<br /><br />先般，国選弁護人に対する報酬が引き上げが決定されましたが（「<a href="http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20080817-OYT1T00226.htm">国選弁護人の報酬ＵＰ、裁判員制度開始にそなえ…法務省方針</a>」参照），医者が患者の生命を守り，聖職者が信徒の魂を救済するのと同様に，弁護士が市民の社会的地位を護ることに対する報酬としては，依然として少ないという議論も十分あり得る額です。<br /><br />報酬の増額は，弁護士たちの専門知識と経験に対する正当な対価を確保するのみならず，水増し請求する必要性を根本から奪い去る方策としても機能し得るものだと思うのですが，ただでさえ刑事弁護の意義が理解されにくい昨今（橋下弁護士による懲戒請求先導の事例を想起せよ），今回の一件で増額が頓挫しないことを願うばかりです。<br /><br />弁護士には護るべき倫理があり，その一部は弁護士職務基本規程にも盛り込まれています。しかし，誇り高い弁護士ほど，倫理的規程を嫌います。そのような縛りがなくとも当然護られるべきものについて規則・規程が存在することそれ自体が恥であると感じるためでしょう。<br /><br />岡山弁護士会におかれては，除名を念頭に，厳しい処分を検討されるよう期待します。<br /> ]]>
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<dc:subject>刑事法・刑事事件</dc:subject>
<dc:date>2008-10-12T17:37:55+09:00</dc:date>
<dc:creator>kiyosakari</dc:creator>
<dc:publisher>FC2-BLOG</dc:publisher>
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<title>『3銭分でも盗みは盗みです』に関して──微罪処分・逮捕と懲罰・警察発表のダブルスタンダード</title>
<description> 待ち合わせ中だった大学生が，JR駅構内のコンセントに無断で携帯電話の充電器を差し込み、携帯電話を充電した結果，電気0.015w/h（3銭相当）を窃取したとして，大学生が検挙されるという事件がありました。より詳しい事情については、朝日新聞の記事「駅コンセントで携帯充電の女子大生摘発、被害『３銭』」は既に消えてしまったようなので、『痛いニュース』あたりを参照して下さい。以下，この事件に関する事実の確認（逮捕され
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<![CDATA[ 待ち合わせ中だった大学生が，JR駅構内のコンセントに無断で携帯電話の充電器を差し込み、携帯電話を充電した結果，電気0.015w/h（3銭相当）を窃取したとして，大学生が検挙されるという事件がありました。<br /><br />より詳しい事情については、朝日新聞の記事「<a href="http://www.asahi.com/national/update/0910/TKY200809100213.html">駅コンセントで携帯充電の女子大生摘発、被害『３銭』</a>」は既に消えてしまったようなので、『<a href="http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1173891.html">痛いニュース</a>』あたりを参照して下さい。<br /><br />以下，この事件に関する事実の確認（逮捕されていないこと、微罪処分とは何か）をしていきたいと思います。<br /><br />なお，被害額が余りにもわずかな事案ため，可罰的違法性の議論もしようかと思ったのですが，私が言わんとしていたこと以上のことが「<a href="http://strafrecht.typepad.jp/blog/2007/09/post_2e2a.html">可罰的違法性</a>」（<a href="http://strafrecht.typepad.jp/blog/">続・けったいな刑法学者のメモ</a>）で解説し尽くされていたため，この点は触れません。<br /><br /><span class="newshead">微罪処分とは何か</span><br />この事件についてウェブ上での反応を見ていると，本件の被疑者が逮捕されたことを前提にしている方が散見されるのですが，逮捕はされていないはずです。微罪処分として処理されたことから，それが分かります。<br /><br />微罪処分とは、事件を検察官に送致（いわゆる送検）せず，警察段階で終結させる手続をいいます。本来，事件は全て警察から検察へ送らなければならないとされていますが（刑事訴訟法246条本文），「検察官が指定した事件」については特別な扱いが認められています。その『特別な扱い』の一つが，微罪処分ということになります。<br /><br />微罪処分となるのは，被害額が僅少であり，かつ犯情も軽微であって，被害弁償等がなされており，被害者も処罰を望んでいない等の事情が認められ，刑罰を必要としないことが明らかである窃盗・横領等の罪などです（昭和25年7月20日最高検日記秘庶第1097号検事総長通牒「送致事件の特例に関する件」家月2巻8号124頁参照）。<br /><br />そしてこの通達では，被疑者を逮捕した場合については，微罪処分とすることができない旨，規定されています（注）。本件では，被疑者は微罪処分となったようですから，被疑者が本件に関して逮捕されたということはあり得ません。<br /><br /><span class="note">注：私は，上記通達がなかったとしても，同様の結論になると考えます。警察が逮捕した被疑者を検察へ送致する手続は，例えば刑訴法199条以下に規定されており，これらの規定は刑訴法246条にいう「特別の定」なのであって，微罪処分の根拠となる同条ただし書も，これら「特別の定」によって処理される場合には適用がない，と考えるからです。</span><br /><br /><span class="newshead">「微罪処分」のその後</span><br />微罪処分となった事件は，処理した年月日，被疑者の氏名・年齢・職業・住所，犯罪事実の要旨につき，月ごとに一括して検察へ報告されることになります（犯罪捜査規範196条）。<br />前歴としては残りますが、数年経つと事件記録が残っていないため，『何だか分からないが，窃盗をやったことは確か』ということになったりします。<br /><br />また、指紋を採られるかどうかは、ケースによるでしょう。なお、身柄拘束（逮捕）されていない場合であれば、令状がない限り、指紋・足形の採取、身長・体重の測定、写真撮影を拒むことができます（刑訴法218条2項参照）。そういう立場に追い込まれてしまった人は，試しに拒否してみるのも一興かと思います（なお，当方は一切責任を負いません。）。<br /><br /><span class="newshead">逮捕に対する誤解</span><br />さて，上述したところでも少し触れましたが，<a href="http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1173891.html">この事件に対するウェブ上でのコメントを見ていると</a>，『犯罪を犯した（疑いがある）場合には逮捕されて当然』という考え方が、どうしても強いようです。<br /><br />私も逮捕が事実上懲罰的な効果を生じることや，犯罪の抑止力をもっていることは，否定しません。<br />しかし、逮捕という身柄拘束処分は、懲罰を意味しませんし、意味してはなりません。逮捕は被疑者の逃亡と罪証湮滅を防ぎつつ捜査を行うための手段です。これを警察限りの懲罰と考えるなら無罪の推定という刑事手続の大原則に反しますし，十分かつ適正・公平な検討のないまま人権（身体の自由・名誉）を制約することになり，全く容認できません。<br /><br />この事件報道を見て怒りを感じたのは，本件は非常に僅かな被害であったにもかかわらず検挙・立件して報道機関に発表までする一方，警察官による万引きは「被害が僅かだから」といって公表しなかったという例があることです（同じ神奈川県警の例として，「<a href="http://shoot-first.cocolog-nifty.com/airwolf/2005/08/post_e63f.html">【犯罪】神奈川県警：警官の盗撮や痴漢は原則公表へ</a>」〔<a href="http://shoot-first.cocolog-nifty.com/airwolf/">散歩写真</a>〕，愛知県警による非公表の例として，「<a href="http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1220410782/">【愛知】県警巡査部長　漫画本９冊（４７７０円）万引きし逮捕　「被害金額低い」と発表せず</a>」参照。）。<br /><br />犯罪は逐一公表すべきとは思いませんし，公表すべき基準はまだまだ議論の余地があるとは思います。しかし，報道機関を通じて事例を公表することにより犯罪抑止を狙うのであれば，むしろ後者こそ率先して公表し，縦令身内であっても犯罪は徹底的に捜査するという意思を示す方が良かったと思います。<br /><br />一般人による，違法性に疑義が生じ得るほど僅少の被害しかなかった生じなかった本件を公表する一方，違法性に疑いはなく，被害も少ないとは言えない（注）うえ，警察官という本来犯罪を取り締まる側に属する人間が犯した犯罪については公表しないというのは，バランスとしておかしいと言わざるを得ません。<br /><br /><span class="note">注：書店での窃盗（万引き）をした少年については、「たとえ僅かと思われる被害金額でも、それを取戻すためにどれほどの労力が必要になるか」ということを講習等で理解させるという保護的措置が執られることが、ままあります。</span> ]]>
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<dc:subject>刑事法・刑事事件</dc:subject>
<dc:date>2008-10-06T18:54:10+09:00</dc:date>
<dc:creator>kiyosakari</dc:creator>
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