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気になるニュースの論点整理と法的観点からの検討,法律関係書籍を中心とした感想文。

さいたま地方裁判所平成20年05月30日判決(平成18(ワ)383)は,男子児童らからいじめられた原告(女子児童)が,男子児童ら及びその親を被告として不法行為に基づく損害賠償請求をした事案につき,その請求を棄却したものです。

本判決は,個々の行為について「違法性」を検討し,それぞれの行為について損害賠償責任を認めるほどの違法性はなかったとしています。

ここでの疑問は2つ。

第一に,「違法である」と判断した根拠が十分に示されているか。
第二に,本判決は,個々の行為について「違法性」の有無を検討しているが,一連の行為を総体として検討・評価すべきではなかったか。
特に第一の点については,どのような権利が侵害されたのかを先ず検討すべきではなかったか,という疑問があります。

被侵害利益を確定しないまま議論を進めてよいのか
先ず,第一の点,そのうちでも『どのような権利が侵害されたのかを最初に検討すべきでなかったか』という点について考えます。

「違法性」を不法行為の成立要件とする学説はいくつかありますが,そのいずれの説に立つとしても,何らかの法的な利益・権利が侵害されていなければ,「違法性」を肯定することはあり得ません。つまり,被侵害利益の確定が先行するはずなのです。

しかし本判決では,その点が軽視されているように思います。

例として,判決文3(1)ウ(ア)での判断を見てみます。
被告Aは,本件話し合いの前に,鉛筆ズボン事件,鉛筆刺突事件,悪口を言ったり叩いたりする件,朝会事件,本件金銭事件などがあるが,いずれもそれ自体加害行為の程度が強いとはいえないし,原告からの明確な拒否や,保護者や教師からの厳格な注意があったとは認められない。本件話し合いの存在や,その際に被告Aは謝罪し,原告から友達であるといって許しを得ていることも考慮すると,本件話し合い前に被告Aが原告に対して行った行為は,いずれも不法行為が成立するほどの実質的な違法性があるとはいえない。
鉛筆ズボン事件とは,原告(女児)の鉛筆を被告A(男児)が自己のズボンの中に入れたという出来事を,鉛筆刺突事件とは,被告Aが原告の背中を鉛筆で突いた出来事を,朝会事件とは,朝会で被告A及びCが音楽にあわせて原告を叩いた出来事を,そして金銭事件とは,被告らが原告に対して金銭を要求していた出来事を言います。

ここでは「○○という出来事がありました」と述べた後,いきなり加害行為の程度という話に入っています。

「違法性」要件を総合考慮の場にする見解においては,侵害された権利・利益の抽象的な性質によって,どの程度の侵害なら許されるか,侵害の程度の強弱を考慮し,「違法性」の有無を判断します。上記引用部分は,前提部分をすっ飛ばしているのです。

本判決の被侵害利益に対する考え方は?
「『○○という出来事がありました』という事実さえ述べれば,どのような利益が侵害されたかは自明なので,あえて述べなかった」のかも知れません。

しかし,侵害態様と比較衡量されるのは,個々の具体的な侵害結果を超えた,抽象的な性質も含めた権利・利益のはずです。身体に対する加害行為も,名誉・名誉感情又は性的羞恥心に対する加害行為も一緒くたに述べている本判決では,そのような観点が採用されていないことは明らかといえましょう。

あるいは,「加害行為の態様があまりに軽微なため,侵害された利益がなんであろうとも違法性は肯定し得ない」という判断があったため,被侵害利益については触れなかったのかも知れません。

そうだとすれば一応のスジは通るのかも知れません。しかし,それにしては『なぜ本件における行為がそこまで軽微といえるのか』について何らの説明がなく,結果として価値判断が前面に出た(ような印象を与える)ものとなっており,妥当な判決文とは思えません。

本判決の提示した一般論
次に,本判決が提示した一般論の内容と用法について考えます。先ずは,判決文中,『子どもの「いじめ」は,どのような場合に違法性を帯びるか』を論じた部分を引用します。(強調は筆者)。
特定の者に対し,一定の者が継続的に物的・身体的・精神的に被害者が嫌だと感じる行為,いわゆるいじめをしている場合,不法行為が成立することがあると解されるが,そのためには,被害者が苦痛を受けるという損害だけでなく,加害者に故意・過失が必要であるし,違法性も必要となる。ところで,子供の成長過程や,学校教育では,身体的・精神的な衝突はほぼ必然的に生じるものであるし,健全な発育のためには身体的・精神的な衝突はむしろ必要とさえ考えられる。また,子供は精神的に成熟していない以上,責任能力の有無にかかわらず,相手がどの程度のことをされると耐えられないほどの苦痛を感じるのか分からないこともある。したがって,外形的にいわゆるいじめというような行為があったとしても,加害者との関係では,直ちに不法行為が成立するほどの違法性があることにはならず,軽微ならざる加害行為を行った場合や,被害者が明確に拒否をしているにもかかわらず執拗に加害行為を継続している場合,保護者や教師から厳格な注意を受けたにもかかわらず依然として注意に背き加害行為を行った場合など,加害行為が相当程度強いときに,不法行為が成立する実質的な違法性があることになるというのが相当である。
 実質的検討に入る前に一言述べておくと,本判決のように,「違法性」要件でもって,不法行為の成立する範囲を『適正な範囲』に保とうとしていることそれ自体は,国民一般の行動の自由を確保する試みとして,評価されるべきです。

一般論の内容には,賛成できない。
しかし,本判決が提示した一般論のうち,「ところで」以下については,賛成できません。

女子の鉛筆を男子のズボンに入れることは「健全な発育」に必要なのか
先ず,健全な発育のためには身体的・精神的な衝突はむしろ必要という点です。

誰もが通ってきた道なので,何となく読めば,何となく納得してしまうかも知れません。しかし,人との衝突が人を成長させるとしても,それを必要とまで言い切ってよいのか,私は疑問です。

人と衝突することによって,人との付き合い方を学んでいくということはあると思いますが,だからといって身体的な侵害までまるっと「健全な発いくいくのため必要」と言ってよいのでしょうか。

まして本件は,「衝突」というよりも,やや一方的な『攻撃』というべき事案であると,私は考えます。
そうだとすれば,本判決の一般論はもはや妥当する基礎を失うというべきでしょう。

それに,この一般論を前提とすれば,本判決が違法でないとした行為,例えば,背中に鉛筆を差したり,女子児童の持ち物を男子児童が自らのズボンの中に入れたり,音楽にあわせて相手をポカポカと叩いたりすることは,「健全な発育のために…必要」ということになります。

本判決における過失の位置づけ
次に,『子どもは未熟だから,加減がわからない』ということが,なぜ違法性の判断要素となるのかという点です。

本判決が,「違法性」要件を,過失をも取込んだ総合的判断のための要件として位置づけているのであれば,理解できます。過失の判断は,行為当時の行為者の認識に立って,どのような選択肢があり,どれを選ぶべきであったかを考えるものだからです。

しかし本判決は,一応過失は別個の要件と位置づけているようですから(判決文3(1)ウ(イ)の項を参照),上記のような「違法性」概念は採用していないように思います。そうすると,なぜこれを違法性の判断要素としたのか,その理論的根拠は何なのか,疑問です。そこで私は,結論先に在りきなのではないか,と勘ぐってしまうのです。

なお,『本人の拒否の態度の程度』を問題としているのは,『子どもは未熟だから,加減がわからない』に対応したもので,『そんな未熟者でも,激しく抵抗されたら,さすがに空気を読めるだろう。』ということなのでしょう。これについては,憐憫の情を覚えるものの,スジは通っていると考えます。

しかしながら,後に展開される個別判断を見ていくと,『本人の拒絶の態度の程度』を過度に重視しているような印象を持ちます。被侵害利益を十分に検討していない点と併せていうならば,本判決は,『考慮(重視)すべきを考慮せず,考慮すべきでないことを考慮している』といえるのではないでしょうか。

個別的判断に終始してよいのか
次に,第二点目として,一連の行為を全体として評価すべきでないか,ということを検討します。
本判決における判断──各行為ごとの判断
例として,被告A(男子児童)による行為についての評価を見てみます。

被告Aの行為は,判決文3(1)ウの項において検討されています(長いので,引用はしません。)。

そこでは,(ア)から(エ)までで個別的な行為について違法性の有無を判断しています(ここでの判断が不透明で不満が残ることについては,上述「一般論とリンクしない個別判断」の節で述べたとおりです。)。

そして,続く(オ)において,個々の行為を全体としてみた場合の評価を述べているのですが,
また,被告Aの原告に対する上記個々の行為や,その他本件で証拠上認められる被告Aの行為をまとめて考慮しても,不法行為が成立するほどの実質的な違法性があるとはいえない。
と,結論が述べられているに過ぎません。

小さな嫌がらせも蓄積すれば「いじめ」になるのでは?
個々の行為を観察したとき,それぞれについては「違法性」を肯定できないけれども,日常の些細なことが積み重なって「違法性」が肯定される事案があることについては,おそらく本判決の裁判官も同意すると思います。

そして,これはもはや私の価値判断と,本判決における価値判断との正面衝突(水掛け論)になってしまうのですが,私は,日常の些細なことが積み重なってダメージとなる可能性を,もう少し重視すべきだったように思います。


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即決裁判手続について
いわゆる「簡単な事件」の場合,検察官が「即決裁判手続」の申立をする場合があります。即決裁判手続では,審理が簡略化され,その日のうちに判決が宣告されます。この手続による場合,たとえ懲役・禁固の刑が言い渡される場合でも,必ず執行猶予つきの判決になります。つまり,裁判があったその日のうちに釈放されて,家に帰れるわけです。

これは,被告人はいち早く社会復帰ができ(そして,早急な社会復帰は再犯防止に繋がると私は考えます),検察官・裁判官も効率的に仕事ができる(ここで節約した時間を他の事件に費やす)というメリットがあります。

即決裁判手続後,被害弁償せずに逃げた被告人
その即決裁判手続で有罪とされた被告人が,公判廷において,被害弁償を約束していたにもかかわらず,これを反古にしてしまったようです。「即決裁判で猶予判決の男、被害弁償せず不明…懸念が現実に」(読売新聞)から,一部引用します。ちなみに,被害弁償の約束を反古にしても,執行猶予が取り消されたり,何か別の犯罪に当たるということはありません。
通常の刑事裁判では、判決まで執行猶予が付くかがわからず、被告が情状を有利にするため判決言い渡し前に被害弁償に応じる傾向が強い。これに対し、即決裁判では、弁償したかどうかにかかわらず判決が言い渡される。このため、制度導入の際、司法制度改革推進本部の検討会で「被告が罪に向き合わなくなる」との指摘があり、検察内部でも「被害弁償が進まなくなる」との意見があった。
細かい点は措くとして,気になるのは,検察内部の意見として記載されているものです。本当にそう思っているのなら,検察官が即決裁判手続を選択しなければよいだけです。刑事訴訟法350条の2第1項を引用します。
第三百五十条の二  検察官は、公訴を提起しようとする事件について、事案が明白であり、かつ、軽微であること、証拠調べが速やかに終わると見込まれることその他の事情を考慮し、相当と認めるときは、公訴の提起と同時に、書面により即決裁判手続の申立てをすることができる。ただし、死刑又は無期若しくは短期一年以上の懲役若しくは禁錮に当たる事件については、この限りでない。
 検察内部がこのことを知らないはずはないため,『忙しすぎる』など,「それでも即決裁判手続を選択する」という事情があるのでしょう。

『口先だけ』は日常茶飯事
残念ながら,被疑者・被告人(以下,被告人で代表させます。)が,被害弁償を約束しておきながら,これを反古にすることなど,日常茶飯事です。明らかに支払えるわけもない被告人が被告人質問で「出所したら,弁償するつもりです」などと述べておきながら,弁償しないという例は,かなりの数に登ると思います(注)。

注:法曹三者,いずれも特定の被告人の「その後」を追いかけることは先ずなく,よって本当に被害弁償をしたかどうか,正確には把握しきれないのが本当のところですが,前科のある被告人に前刑に関する事情を聞くと,「弁償すると言ったけれど,弁償してません」ということが多いため,本文記載のように推測します。

ですので,冒頭に引用した記事の事件が,この類いの事件であれば,実は取り立てて問題にするものでもない(いまさら問題にするものでもない)という気がします。

『将来支払う』という示談の危険性
しかし,「反古にする」事例にも程度があります。

例えば,弁護人が被害者と示談交渉を行い,「○○までに支払う。」という示談書を作成し,それを前提に,被害者が被告人を「宥恕する」旨の上申書を作成したという事案で,判決後,被告人が示談書記載の示談金を支払わないというケースも,たまに耳にします。

なぜ「たまに」なのかというと,多くの被告人が約束を果たしているからではなく,被害者は通常そのような示談には応じないし,弁護人としても,破綻する可能性が高い示談を積極的に進めようとは思わないからであると思います。

冒頭に引用した記事の事件も,これに似た事情があったからこそ,新聞で書かれるというオオゴトになったのだろうと思ったのですが,これは私にはよく分かりません。

犯人探し
では,こうした事態が生じた場合に,誰が悪いのかというと,当然第一に非難されるべきは被告人ですが,即決裁判手続を選択した検察官も,一定の非難は受けてしかるべきと考えます。また,弁護人が示談の交渉を行っていた場合,『いずれ支払う』旨の示談の危険性(反古にされる可能性)を十分に説明していなかったとすれば,それも責められるべきことです。

刑事裁判に,犯罪の成否と量刑の決定以上の機能,例えば被告人の反省を促すことなどを盛り込みすぎている現状のまま,即決裁判手続を導入したことに無理があるのかも知れません。

即決裁判手続が目指した刑事裁判の効率化は重要な課題です。ですが,根本的解決のためには,裁判官と,検察官(副検事含む)・検察事務官の大幅増員が必要ではないかと思います。もっとも,それによって吹き飛ぶ国家予算は膨大です。埋蔵金でも使ってみますか?


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拙稿『ネットでの犯行予告は犯罪だとしても逮捕まで必要なの?』については,はてなブックマークなどで思いがけず多くの反応を頂きました。ありがとうございます。
今回はその恩返しという意味も込めて,上記エントリに対する「はてなブックマーク」上のコメントにつき,コメントしてみたいと思います。

ブログ 他の時なら素直に納得するだろうけど、『今この時』では逮捕もやむなしという方向に傾いてしまう。逆に『今この時』でなければ警察も逮捕まですまい。
『今この時』であれば逮捕してよいという根拠は,ない様に思います。『今この時』においては,被疑者逃亡・罪証湮滅の可能性が高まる特殊な事情があるというのであれば別ですが,この件に関して,そのような事情は見当たらないのではないでしょうか。
社会 んー同意できんな。時期が時期だし。それに予告対象を「あなた」や「あなたの家族」に置き換えてみるといい。いくらジョークだとしても赤の他人で匿名での書き込みに俺は恐怖を覚えるよ。
この方は,逮捕も犯罪に対する制裁の一部あるいは更なる犯罪発生を防止するための措置というように考えておられるように思います。

しかし,それは誤解です。逮捕はあくまで,被疑者の逃亡と罪証湮滅を防止することのみを目的とした制度です。

注:「検挙」とは,通常,捜査機関において,ある人をある犯罪の被疑者であると特定し,検察官へ送致等をするために必要な捜査を完了したことを意味します。必ずしも逮捕は伴いません。

なお,上記コメントにて指摘されているとおり,確かに,私自身や私の家族が名宛人となる脅迫があった場合,私は恐怖を覚えるでしょう。

しかしながら,そのことは,犯罪(この場合には脅迫罪)の成立には関係するとしても,逮捕の目的である「逃亡の虞」「罪証湮滅の虞」には直接関係しません。それに,脅迫罪の法定刑はさして重くなく,前科が無いなどの事情から,起訴猶予となったり,あるいは裁判となっても執行猶予になることが十分考えられるのであって,1〜2週間から長くとも数ヶ月のうちに,身柄拘束が解かれますので,逮捕されても大して安心はできないように思います。
しゃれになってなかった、だけじゃないかな。

タイトルと1本文で警察は動かざるをえないんじゃないかな。同じIDの人が言い訳したからって警察の人が「なんだそうか」とはならないでしょう。で、動いたあとならもう冗談じゃ済まされない
私も,件の書き込みが犯罪となることについて異論はなく,よって警察が動く(捜査をする・冗談では済まされない事態となる)ことも致し方ないと考えます。

しかし私の問題提起は,警察が捜査をすることの可否ではなく,捜査することを前提に,その捜査手法の当否(適法違法)を問うところにあります。
警察様は逮捕しやすい奴を捕まえて仕事している風味を醸し出す機関です。なので長野で大暴れした中国人は捕まりませんし、刑罰もされません。そもそも国民を護る組織じゃなくて安全だと勘違いさせる組織なのです。
私はこの方ほど警察に対して悪感情を持ってはいませんし,ネットでの犯罪予告についても,被疑者割り出しにはそれなりの労力を割いていると思いますから,これらの被疑者が「逮捕しやすい奴」に分類されるかどうか,分かりません。


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チアガールの肖像権」(企業法務戦士の雑感)にてFJneo1994さんが取り上げておられる話題から私が連想したのは,報道番組やワイドショーで使われる映像です。

問題がありそうなイメージ映像・資料映像
例えば,未成年者による売買春のニュースの背景に,渋谷を歩く女子高校生の短いスカートからのぞく脚の映像を使ったり,夏のプールや海水浴場の様子を報道する際に,水着姿の女性をアップで(見る人が見れば個人を特定することができるような態様で)放送したりすることがよくあります。『許すな!盗撮犯!』といった特集の冒頭にこうした映像が流れると,何となくシュールです。

防犯カメラとの比較
これが例えば,警察の設置した防犯カメラの場合,証拠収集(捜査活動)や犯罪抑止といった目的・必要性の下,公衆の目に触れる公道等を撮影したに過ぎず(よってプライバシーや,みだりに容貌・姿態を撮影されない自由〔肖像権〕への侵害が弱い),右目的以外には使用されることがないように管理されているといった事情でもって,正当化される可能性があります(注)。

なお,右目的に基づかず撮影していたならば,たとえ侵害が軽微であっても,所掌事務の範囲を逸脱する違法があると言うべきように思います。

つまり,正当な目的・必要性と,侵害される権利・利益の強弱によって,この手のものを容認する余地が生まれると考えられます。

「報道目的だからOK」と言えるか
では,テレビ番組に置き換えて考えてみます。

まず,報道目的という観点から正当化ができないか。
防犯カメラの場合にも,犯罪捜査・犯罪抑止のために大して必要でもないカメラの設置は侵害される法益との関係で違法とされうることからして,『そのことを報道するときに,水着のお姉さんの映像は必要か?』と問われることになりますが,返答に窮することも多いような気がします。

また,この方向からだけ考えると,バラエティ番組については正当化される余地が無くなってしまいます。

「大した映像ではないからOK」と言えるか
次に,権利・利益の面から考えてみます。

防犯カメラの例でも触れたように,公道等そもそも公衆の目に触れるような場所においては,そこを通行する人々のプライバシーの利益や肖像権は,例えば部屋の中にいる場合に比べて,弱いものとなります。

私としては,街行くオサレさんや,甲子園球場の観客席(応援団・チアを含む)については,この方向で正当化できるように考えています。特に後者は,「甲子園球場の観客席がテレビに映るのは知っているでしょう?特に応援団やチアガールは毎年アップで撮られているでしょう?」ということで,黙示の承諾が認められる余地はやや高まるかと思います。

しかし,脚・太腿や胸といった部分や水着姿のように,凝視されれば羞恥心を抱くであろう部分・姿を集中的に撮影している(記録媒体に固定している)のですから,たとえ公衆の目に触れる場所であっても,それだけで直ちに自由な撮影を許すほど保護の程度が減じるとは考えるべきでないように思います。

対策は?
おそらく最も確実なリスク軽減策は、『全ての被写体から承諾を取る』『写されても文句はないだろうと予想される被写体(注)だけ写す』という手法に切り替えることです。しかし,それではあまりに窮屈な気がします。

注:典型は,ピースしながらカメラに写り込もうとする人たち。

また,現在も行われていますが、「ぼかし」をいれるなどして個人が特定できないように配慮すればどうでしょうか。しかし、被写体自身又はその関係者等が撮影されたことに気が付かなければそれで何らの利益も侵害されていないかといわれれば,そうではないと思いますので,個人の特定が困難であるとの一事をもって正当化することは困難であるように思います。

結局のところ,イメージ映像等による権利侵害が問題になるのは,おそらく不法行為に基づく損害賠償請求訴訟が提起された段階が多いでしょうから,『理論的には法的利益が侵害されているけれども,その程度は軽微であるから不法行為は成立しない』とか,『侵害の程度が軽微であるから,損害は発生していない』といったところで防御することになるのでしょう(偶然かつ不可避的に写り込んでしまった場合には,故意・過失の点で争う余地が生じます。)。


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2008.08.14 01:39 | 論点整理・論考 | トラックバック(0) | コメント(3) |
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知財高裁平成20年7月17日判決(平成20年(ネ)第10009号))について,「表現の幅」をもって創作性を定義している点と,『権利侵害の明白性』要件(プロバイダ責任制限法4条1項)において別の主張をする余地もあったのではないかと言う点が気になったので,簡単にコメントします。

「表現の幅」──表現者目線か,競争者目線か
先ず,「表現の幅」をもって創作性を定義している点について。

知財高裁は,以下のように言います。
このような付加的表記は,大項目については,証言内容のまとめとして,ごくありふれた方法でされたものであって,格別な工夫が凝らされているとはいえず,また,中項目については,いずれも極めて短く,表現方法に選択の余地が乏しいといえるから,原告の個性が発揮されている表現部分はなく,創作性を認めることはできない。
原告の主張する創意工夫については,経歴部分の表現は事実の伝達にすぎず,表現の選択の幅が狭いので創作性が認められないのは前記のとおりであるし,実際の証言の順序を入れ替えたり,固有名詞を省略したことが,原告の個性の発揮と評価できるほどの選択又は配列上の工夫ということはできない。
この定義を見て真っ先に想起するのは、中山信弘教授です。しかし、本判決の言う「表現の幅」と、中山教授の言う「選択の幅」とでは,その内容が異なるように思われます。

すなわち,本判決は,『個性が発揮されている表現部分といえるか否か』という文脈で「選択の余地」(選択の幅)に言及していることから,本判決の想定する「選択の幅」とは,表現者(原告)にとっての「選択の幅」であると考えるのが,しっくり来るように思います。

他方,中山教授の言う「選択の幅」は,ある表現者と競争関係に立つ表現者の「選択の幅」です。中山教授は,「選択の幅」という概念によって著作物を定義することにより,他の表現者に『ありふれた表現』をする余地を与える(ある表現者に独占させる表現の領域を限定する)という発想をされます。中山先生の発想からすれば,中項目については,いずれも極めて短く,表現方法に選択の余地が乏しいといえるから,原告の個性が発揮されている表現部分はなく,創作性を認めることはできない。という表現ではなく,「中項目については,いずれも極めて短く,表現方法に選択の余地が乏しいといえるから,著作物性を認めて原告に当該表現方法を独占させるべきではなく,創作性を認めることはできない。」とでもなりましょうか。

このように,中山教授のいう「選択の幅」と,本判決のいうそれとは,実は本質的に異なる概念を用いていると言えるように思います。しかし,それによって結果が変わってくるかというと,あまり変わってくるようには思いません(まさに机上の空論!)。

著作権ではない権利・利益を侵害した不法行為の可能性
もう一つ気になるのは,不法行為の成立という点です。

本判決では,裁判傍聴ブログの記述について「著作物」としての保護が認められず,著作権侵害としての不法行為に基づく損害賠償請求は否定されることとなりました。しかし,不法行為が成立する余地はまだあるのではないか,ということです。

本件において,原告は,著作権侵害を前提とした主張しかしていないため判断の対象になっていません。しかし,理論的には,著作権とまではいえない権利・法的利益が侵害されてことを理由とする不法行為に基づく損害賠償請求の余地は残されているはずです。その代表例は,以下に引用する『翼システム事件』です。
民法709条にいう不法行為の成立要件としての権利侵害は、必ずしも厳密な法律上の具体的権利の侵害であることを要せず、法的保護に値する利益の侵害をもって足りるというべきである。そして、人が費用や労力をかけて情報を収集、整理することで、データベースを作成し、そのデータベースを製造販売することで営業活動を行っている場合において、そのデータベースのデータを複製して作成したデータベースを、その者の販売地域と競合する地域において販売する行為は、公正かつ自由な競争原理によって成り立つ取引社会において、著しく不公正な手段を用いて他人の法的保護に値する営業活動上の利益を侵害するものとして、不法行為を構成する場合があるというべきである。
このスジで行けば,原告の請求も認容される余地があったように思うのですが,どうでしょうか(注)。

注:争点を絞ったためかも知れませんし,そもそも私の考えに穴があるのかも知れません。念のため。

本判決は,「選択の幅」の範囲内に留まる程度の工夫に過ぎず,それは著作物性を基礎づけないとしました。しかし,それなりの工夫があることは事実です。そして,原告のブログを転載した他のブログは,本ブログをそのままコピーしているようです(いわゆるデッドコピー)。こうした態様からすると,原告の部六畳での表現は,ただ単に「額の汗」と切り捨てず,法的保護を与えるのも悪くはないのではないでしょうか。

ただし,何を持って損害と見るかは問題であるように思います。

例えば,著作権侵害を否定しつつも,不法行為に基づく損害賠償を認めた『翼システム事件』においては,原告は問題となったデータベースを事業の一環として提供しており,被告の『パクリ』によって原告の事業が妨害されたという関係があります。なので,損害が発生したといいやすい。

ところが本件において裁判傍聴ブログを運営していたのは一個人で,営業としてやっていたわけでもないようです。そうなると,何をもって損害というのか,問題です。気持ちとしては慰謝料ということで幾ばくかでも損害賠償を認めてもよいのではないかとは思いますが。

最後に,プロバイダ責任法(特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律(平成十三年十一月三十日法律第百三十七号))のうち,本件に関連する条文をあげておきます。
(発信者情報の開示請求等)
第四条  特定電気通信による情報の流通によって自己の権利を侵害されたとする者は、次の各号のいずれにも該当するときに限り、当該特定電気通信の用に供される特定電気通信設備を用いる特定電気通信役務提供者(以下「開示関係役務提供者」という。)に対し、当該開示関係役務提供者が保有する当該権利の侵害に係る発信者情報(氏名、住所その他の侵害情報の発信者の特定に資する情報であって総務省令で定めるものをいう。以下同じ。)の開示を請求することができる。
一  侵害情報の流通によって当該開示の請求をする者の権利が侵害されたことが明らかであるとき。
二  当該発信者情報が当該開示の請求をする者の損害賠償請求権の行使のために必要である場合その他発信者情報の開示を受けるべき正当な理由があるとき。
2  開示関係役務提供者は、前項の規定による開示の請求を受けたときは、当該開示の請求に係る侵害情報の発信者と連絡することができない場合その他特別の事情がある場合を除き、開示するかどうかについて当該発信者の意見を聴かなければならない。
3  第一項の規定により発信者情報の開示を受けた者は、当該発信者情報をみだりに用いて、不当に当該発信者の名誉又は生活の平穏を害する行為をしてはならない。
4  開示関係役務提供者は、第一項の規定による開示の請求に応じないことにより当該開示の請求をした者に生じた損害については、故意又は重大な過失がある場合でなければ、賠償の責めに任じない。ただし、当該開示関係役務提供者が当該開示の請求に係る侵害情報の発信者である場合は、この限りでない。


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